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「諜報の神様」と呼ばれた男
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歴史
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唯一、イギリス秘密情報部に徹底マークされた日本人武官

『「諜報の神様」と呼ばれた男』
[著]岡部伸 [発行]PHP研究所


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 第二次大戦で、連合国を震撼させたインテリジェンス・オフィサーが日本にいたことをご存じだろうか──。

 イギリスには、映画「007」でよく知られる外務省管轄の通称「MI6」、秘密情報部(SIS)のほかに、国内での外国スパイや共産主義者などの摘発、国家機密の漏洩阻止などのカウンター・インテリジェンス(防諜)を行なう内務省管轄の情報機関「MI5」、情報局保安部がある。東西冷戦時代、MI6高官にしてソ連国家保安委員会(KGB)の二重スパイ、キム・フィルビーら長年にわたり、祖国を裏切った「ケンブリッジ5」と呼ばれるスーパー・エリートが共産主義に染まり、ソ連のスパイ活動をしていることを突き止めたのだが、第二次大戦中は、もっぱら交戦国である枢軸国ドイツ、日本などの諜報活動に厳しい監視の目を光らせ、秘密電報を傍受したり、二重スパイを送り込み、欺瞞情報を流したりして勝利に貢献した。

 一九四四年六月六日のノルマンディー上陸作戦では、二重スパイのコードネーム「ガルボ」ことスペイン出身の養鶏業者、フアン・プホル・ガルシアと「トライシクル(三輪車)」ことセルビア人のプレイボーイ、ドゥシャン・ポポフが上陸地点をカレーに偽装する欺瞞情報をドイツに流し、史上最大の上陸作戦を成功に導いている。ちなみにポポフは、「007」ジェームズ・ボンドのモデルの一人と言われている。

 MI5で副長官を務めたガイ・リッデルが書き残した当時の日記が秘密解除され、ロンドンにある英国立公文書館で公開されている。日記には、イギリスの権力の中枢の考えや、連合国内のインサイド情報をはじめ、敵国ドイツや日本に対して戦力分析からピース・フィーラーズ(和平工作者)まで克明に記録され、読むうちに、イギリス版「木戸日記」あるいは「機密戦争日誌」ではないかと思えてくる。「トライシクル」らエージェントからの報告の合間に、終戦直前の一九四五年七月二日(KV4/466)にこんな記述があった。

「ストックホルムで暗躍したドイツの(カール・ハインツ・)クレーマーがようやく秘密情報の交換のために日本のオノデラと取り決めを行なっていたことを認めた。いささか不承不承に、クレーマーは小野寺が提供した情報の詳細について明らかにし始めた。オノデラからもたらされた情報は、西部最前線における連合軍とりわけイギリス軍の配備やフランス陸軍、空軍の配置、イギリスの航空機産業、極東における英米の空挺部隊の配置などの状況のほか、ソ連の暗号表、さらにはアメリカにおける原材料の所在地まで戦略的かつ戦術的だった(中略)。

 オノデラの情報は、クレーマーの情報よりも、価値があると考えられていた。だからドイツ側が気前よく、その情報に報酬を支払ったのだ」


 オノデラとは、大戦を通して北欧のスウェーデンの首都ストックホルム駐在、陸軍武官であった小野寺(まこと)である。クレーマーは戦後、小野寺が「ドイツ随一の情報家」と家族に回想したドイツを代表する法学博士のインテリジェンス・オフィサー、カール・ハインツ・クレーマーだ。この年五月に独裁者ヒトラーが自殺し、第三帝国の崩壊直後から始まった尋問の末、約二カ月目にして小野寺と協力して積極的に情報交換を行ない、小野寺から価値ある情報の提供を受けていたことを認めたのである。

 クレーマーは英米情報のスペシャリストだった。母国を嗅ぎまわるクレーマーをイギリスはことのほか警戒したのはいうまでもない。英国立公文書館には、マタ・ハリからチャーリー・チャップリンに至るまでMI5が監視して調査した人物の個人別のファイル(KV2)があるが、クレーマーのファイルはKV2/144からKV2/157と一四冊もある。最後の上司だった親衛隊情報部(SD)対外局局長、ヴァルター・シェレンベルクがKV2/94からKV2/99と六冊だから、イギリスがいかに北欧で軍属として情報活動を展開したクレーマーを徹底マークしていたかが、ご理解いただけることだろう。ちなみに小野寺のファイル(KV2/243)もある。日本の武官の中で個人ファイルがあるのは、小野寺ただ一人である。そして、MI5のリッデル副長官が書いた日記に登場する日本の武官も小野寺をおいて、ほかにはいない。対ソ諜報の第一人者で陸軍中野学校の初代校長を務めた秋草俊や、「命のビザ」を出して六〇〇〇人のユダヤ人を救った外交官であり、情報士官であった杉原千畝のファイルはない。英国立公文書館に残された機密文書は、小野寺が欧州で孤軍奮闘して連合国の脅威となるインテリジェンスを行なっていたことを物語っているのである。

 大戦後十四年経った一九五九年にクレーマーの情報活動をMI5が最終的にまとめた秘密文書「マッカラン報告書」(KV2/157)でも、「クレーマーの主要な情報源は、日本の小野寺であった。彼らは相互に情報を交換するシステムを作っていた」と結論付けている。

 インテリジェンスの世界では互いの情報を交換することが基本である。現代においても二〇一三年一月にアルジェリアで発生したイスラム過激派による人質事件などのように他国の情報機関との情報交換は重要で、世界各国の情報機関は常に情報のキャッチボールを行なっている。とりわけ国際テロや組織犯罪などは国境を越えて世界を移動するため、一国だけで情報を収集することは不可能で、世界中の情報機関が協力しないとその動きが捕捉できないためだ。その意味では、小野寺がクレーマーと行なっていた高度な情報交換は、先駆的ともいえる。

 ここで重要なのは、小野寺が質の高い情報を自前で得ていたからこそ、クレーマーと対等以上の交換ができたことだ。イギリスが最大級で警戒したクレーマーと秘密情報の交換を行ない、彼に提供する情報が戦略的かつ戦術的で、ドイツ側が報酬を支払うほど価値が高かった日本の小野寺を連合国側がクレーマーと同様、いやそれ以上に脅威に感じていたことはいうまでもない。

 MI5のリッデル副長官は、ストックホルムでのクレーマーと小野寺の諜報協力のレベルの高さに舌を巻いたのだろう。一九四五年七月二日の日記(KV4/466)は、中立国スウェーデンでは、伝えた機密情報がすべてドイツと日本に漏洩しているとの疑念さえ抱いたと締めくくっている。

「我々(MI5)は、(連合国側から)スウェーデン参謀本部に伝えた、いかなる情報も、おそらくベルリンと東京に流れていたのだろう、と考えている」


 詳しくは、後述するが、小野寺は、様々な機密情報を赴任していたスウェーデン当局から直接得てはいない。スウェーデン参謀本部がニュースソースであっても、いずれもポーランドやエストニアなどの小国の情報士官を通じて入手していた。しかし、ブレッチリーパーク(政府暗号学校)で日独の秘密電報を傍受、解読していたイギリスは、小野寺とクレーマーが北欧の中立国スウェーデンの当局者を味方につけ、ことごとく機密情報を得ていたと邪推したのだった。裏を返せば、戦いの勝利をほぼ掌中に収めながら、インテリジェンスでは一敗地にまみれたと脅威に感じていたとも解釈できるだろう。

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