ドイツ語を目指した小野寺はどこで、ロシア語を身につけたのだろうか──。
仙台幼年学校から中央幼年学校を経て一九一七(大正六)年に陸軍士官学校に進んだ小野寺は、士官学校を一九二〇(大正八)年に三十一期生として卒業する。歩兵少尉として復帰した歩兵第二十九連隊が一九二一(大正十)年、ロシア極東サガレン(サハリン)州派遣軍としてニコライエフスクに出兵し、小野寺も小隊長としてアムール河口地帯の守備にあたった。前年一九二〇(大正九)年、シベリア出兵中に、ニコライエフスクで共産ゲリラに日本人居留民を含む住民が虐殺される事件、いわゆる「尼港の惨劇」が起きたため、二十九連隊は、事件後の保障占領として約一年間、派遣されたのである。