陸軍大学校を一九二八(昭和三)年十二月に卒業した小野寺は、歩兵学校や陸軍大学校、参謀本部に所属してロシア軍の研究を行なった後、一九三三(昭和八)年五月から一年間、ロシア語研修のため、当時日本で使われていた言葉で北満(現在の中国東北部)ハルビン駐在となる。一九二九年の世界恐慌の波が国内にも広がり、社会的危機を帝国主義で乗り切ろうと、一九三一(昭和六)年、満洲事変を起こし、翌一九三二(昭和七)年に満洲全域を占領し、清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀を元首(執政のち皇帝)とした満洲国を建国する。その結果、日本は一九三三年三月には国際連盟を脱退して、国際社会から孤立することになるのだが、「満蒙は日本の生命線」のスローガンの下、満洲が事実上の植民地として注目を集め始めた頃だった。