シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、ソ連の首都モスクワに着き、レニングラード(現サンクトペテルブルク)からフィンランドを経由してバルト海を渡り、北欧の都ストックホルムに到着したのは一九四一年一月二十七日のことだった。
参謀本部からストックホルム陸軍武官を命じられたのは一九四〇年十月。辞令が下りてから赴任まで二カ月間もかかったのは、当時の日ソ間でビザ(査証)発給について、小野寺は「ロシア人で日本の査証をもらいたい者が三人できたとき、初めてそれで日本人一人にロシアの査証を出す──こういうルールがあった」(『偕行』一九八六年四月号「将軍は語る〈下〉」)からだったと語っている。