「エストニアと同様に東洋系フィン族であるフィンランド人は、日本に尊敬と敬意を持っていた」。戦後、小野寺は家族に回想したように、バルト三国と同様にフィンランドの情報士官とも協力関係を築いた。利害が共通したのは、やはり帝政時代から圧政に苦しめられた隣国ソ連の存在だった。
戦後、小野寺がSSUの尋問で語ったところによると、彼らと面識を得る契機となったのはリガ武官時代で、フィンランド参謀本部情報部長を務めたパーソネン大佐と暗号のスペシャリスト、ハラマー大佐とは、ともにラトビアに駐在した武官仲間だった。大戦前半は、フィンランドの首都ヘルシンキに同僚の小野打寛武官がいたため、直接の協力関係はなかったが、フィンランド情報部を主導する旧友のパーソネン大佐とハラマー大佐は、ストックホルムの小野寺との個人的な関係を失わないようにフィンランドの駐スウェーデン海軍武官ウィルマン少佐を通じて接触を続け、小野寺は良き友人関係を続けた。