エヴァ・パワシュ=ルトコフスカ、アンジェイ・T・ロメル著『日本・ポーランド関係史』は、ヤクビャニェツと同僚だったダシュキェヴィチが戦後に書いた報告書を掲載している。これを読めば、「命のビザ」を大量発給したゴム印と偽造ビザはポーランド情報士官が用意したものだったことがわかる。
「私は、ソ連領内からの情報を(杉原)日本領事に提供するほかに、(ユダヤ系難民のための)日本の通過ビザ発給の決定に関する回答を領事から受け取ることになっていた」
四〇年七月末、杉原は外務省の許可なしにビザを出し始める。ソ連がリトアニアを併合すると、やむをえず領事館を閉鎖して、九月一日にベルリンへ退去した。