ヤルタ密約を小野寺に伝えたのは、誰だったのだろうか──。
巣鴨拘置所でSSUが行なった小野寺の尋問調書にヒントがあった。尋問では、小野寺は、機密情報を提供してくれたリビコフスキーらポーランド亡命政府に配慮して、さすがにヤルタ密約の情報を彼らから得たとはストレートに語っていない。しかし、次のように答えていた。
「ロンドンの亡命政府参謀本部情報部長のガノから、『ソ連が対日参戦することを決め、ソ連軍が極東シベリアに移動している』との警告を受けた」
「ソ連が対日参戦を決めた」とガノから警告を受けたというのだ。情報提供ではなく「警告」と回顧している点に着目していただきたい。