ポーランド参謀本部から提供された公式情報は極めて質の高いものだった。しかし、巣鴨拘置所の尋問では、小野寺は「すべてそれはドイツ向けの偽情報だった」と答えている。連合軍の機密情報を提供したリビコフスキーらポーランド参謀本部が連合国内で不利益を被ることを恐れたためであった。
巣鴨で尋問が始まった一九四六年三月当時、ロンドンのポーランド亡命政府は戦勝国の一員でありながら立場は微妙だった。英米から国家承認を失い、祖国にはソ連の傀儡であるルブリン共産政権が成立して行き場を失っていた。小野寺はリビコフスキーらの立場を案じて、ポーランド亡命政府から重要な機密情報を得ていた事実を全ては明らかにできなかったのである。