敗戦の窮地に立たされた日本を救おうと、ポーランド亡命政府が「最後の返礼」として小野寺に伝えたヤルタ密約(ソ連対日参戦)情報は、日本で有効に活用されたのだろうか。
国家の命運を左右する第一級の情報でありながら、参謀本部からの返電はなかった。ただ、それまでも送った電報に対して、必ずしも返電があったわけではなかった。だから、「主人(小野寺)も私(百合子夫人)も当然、参謀本部へ届いているものと思っていました」(一九九三年八月十三日付『産経新聞』夕刊)と小野寺夫妻が考えたのも当然のことだった。
しかし、終戦から三十八年経った一九八三(昭和五十八)年のことである。