林が見たという須磨電報は本当にヤルタでソ連が参戦を決めたことを伝えていたのだろうか。ロンドンの英国立公文書館で探すと、ブレッチリーパーク(政府暗号解読学校、現在の政府通信本部)が傍受解読した外交電報のHW12/309のファイルの中に、ヤルタ会談直後の一九四五年二月十六日にマドリードから須磨公使が東京の外務相宛に送った電報の解読文書があった。時期からすると、林が釈明した「須磨電報」とは、この電報のことだろう。
機密文書「ウルトラ」には「クリミア会議 駐マドリード日本公使の諸見解」というタイトルが付けられている。「FACTS(諸事実)」ではなく「VIEWS(諸見解あるいは諸意見)」である。タイトルだけ見ても、ヤルタで対日参戦が密約されたという事実を伝えたものではないことがわかる。本文を読めば、須磨公使が東京に伝えたのは、観測情報にすぎないことが一目瞭然だ。