二十世紀の終わりにモスクワ特派員を務めていた頃、ソ連時代に駐在した先輩から伝えられた逸話があった。言うまでもないことだが、赤いカーテンで閉ざされた全体主義国家、ソ連は共産党が報道をコントロールしていた。ましてや西側の仮想敵国、日本の特派員が自由に移動して取材し、有力者にインタビューすることは不可能だった。そこで諸先輩方が行なった「取材」方法がソ連共産党の機関紙『プラウダ』の行間を読むことだった。
「新聞の行間を読む」というのはいささか誇張がある。行間まで目を通すくらい丹念に新聞を読みこなし、共産党中央委員会や地方における権力闘争を探り当てることだった。