扇は阿部勝雄中将以下、十数名とともにスウェーデンに移ることになった。
ところが、スウェーデン政府が入国を認めず、ビザがなかなか出なかった。海軍の臨時武官の三品中佐と結託した公使館の岡本公使が反対して、積極的に支援しなかったためだ。
三品中佐は臨時武官にすぎなかった。ところが岡本公使は、扇大佐の入国が三品中佐の武官更迭につながるとの理由で、スウェーデン外務省にビザ発給の斡旋の労を取らなかった。さらに小野寺らが和平交渉をたくらみ、小島中将以下が公使館乗っ取りの策謀を企てていると邪推したのだった。
そのあおりで扇は、駐スウェーデン海軍武官として任命されながらスウェーデンに入国できず、ドイツが降伏する五月上旬までコペンハーゲンで待機を余儀なくされた。