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「諜報の神様」と呼ばれた男
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歴史
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あとがき

『「諜報の神様」と呼ばれた男』
[著]岡部伸 [発行]PHP研究所


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 二十世紀末、ソ連崩壊後のロシアでモスクワ支局長を務めた。ペレストロイカ(立て直し)、グラスノスチ(情報公開)を経て、ソ連崩壊で統制されていた言論が自由となり、情報の世界でも自由競争となったはずだが、新生ロシアの保秘の壁は厚く、領土問題で国益が交錯する日本の特派員にホンネを漏らすことは少なかった。

 KGB(ソ連国家保安委員会)の後継FSB(ロシア連邦保安局)が監視の目を光らせる中、ようやく新しい情報がもたらされても、信頼失墜を目論むディスインフォメーション(偽情報)の罠であることも多く、ロシア当局から「真実」を掴みとることは容易ではなかった。駐在した三年半はクラスノヤルスク合意などがあり、北方四島が最も日本に近づいた時期と言われ、平和条約交渉などに関連して多くの原稿を書いたが、会心の記事を書いたと胸を張れたのは数えるほどだ。

 それとて偶然の産物で、政権内部や周辺に確固たる情報源を得て、ロシアが隠したい本当の特ダネを掴むことは最後までできなかった。もっとも、それは私だけではなく、日本を含む大方の西側諸国の特派員がそうであった。

 ソ連と後継国家ロシアの機密情報を入手することは至難の業である。

 だから第二次大戦末期に、スターリンが日本に最も知られたくなかったであろう、ヤルタ会談で対日参戦の密約を結んだ情報を入手して日本に伝えたストックホルム駐在陸軍武官、小野寺信中将のことをロシア当局者から耳にすると、強く魂を揺さぶられた(小野寺氏がヤルタ密約を入手しながら、不明になっていることは産経新聞の後輩、阿比留瑠比政治部編集委員が百合子夫人にインタビューして一九九三年八月十三日付夕刊で報じている)。

 モスクワ市内の墓地に眠る中野学校の初代校長、秋草俊氏と宮川舩夫ハルビン総領事も、ソ連の対日参戦を予測していた対ソ諜報の第一人者だった。しかし、筆者は、北方領土問題の原点となったヤルタ密約の機密情報を得て、参謀本部に打電しながら、ソ連仲介和平工作に奔走する中枢に握り潰されてしまった小野寺氏の無念を想うと、小野寺氏に強く惹かれた。そして世紀の情報を入手できた小野寺氏の人間像に興味を覚えた。

 幾度もロンドンの英国立公文書館を訪れ、所蔵されているMI5が作成した秘密文書を見ると、その想いが深まった。インテリジェンス大国のイギリスは日本陸軍武官の中で唯一、小野寺氏の個人ファイルを作り、「欧州の枢軸国側諜報網の機関長」として警戒していたからだ。英米の公文書館の秘密文書は、小野寺氏が第二次大戦中、欧州で日本のための諜報ネットワークを築き、米英が恐れるスケールの大きい仕事を成し遂げたことを物語っている。

 小野寺氏が、なぜ機密情報の収集に成功したのか。その足跡を辿ると、日本人に生まれて本当によかったと思えることがあった。共産主義を世界に拡散させようとしたソ連の脅威を背景に、ポーランド、エストニア、フィンランド、ハンガリー、ドイツなどの国の情報士官が小野寺氏の人間性に魅了され、小野寺氏個人、そして日本のために一肌脱いでくれたことがわかったからだ。従軍慰安婦問題などを通じて中国と韓国は、日本が侵略戦争を仕掛け、世界から忌み嫌われていたと反日プロパガンダを増殖させているが、大戦中から日本は世界で多くの国に慕われ、支援されていたのである。

 もう一つ発見があった。とかくインテリジェンス(諜報)といえば、戦前の特高警察(特別高等警察)や最近のスノーデン事件などから、市民の秘密を暴く、どこか後ろめたいイメージがある。謀略やサボタージュ、破壊工作、ブラックプロパガンダは確かにそれにあたるかもしれない。しかし、小野寺氏が欧州でインテリジェンスの王道である人間的信頼関係を構築して協力者から秘密情報をとるヒューミント(ヒューマン・インテリジェンス)で成功したのは、小国の情報士官たちと誠実な「(なさけ)」のつながりを築いたからだったのだ。

 情報とは「長く時間をかけて、広い範囲の人たちとの間に『情』のつながりをつくっておく。これに(むく)いるかたちで返ってくるもの」(上前淳一郎『読むクスリ』第一巻 あとがき 文春文庫)といわれる。「諜報の神様」と小国の情報士官から慕われた小野寺氏は、リガ、上海、ストックホルムで「人種、国籍、年齢、思想、信条」を超えて多くの人たちと心を通わせた。これこそインテリジェンスの本質ではないだろうかと思えた。

 戦後封印されていた小野寺氏の情報活動の一端を、一九七五年慶應義塾大学大学院の修士論文「スウェーデンに於ける小野寺和平打診工作」で初めて明らかにした大竹真人氏が、「守秘義務を守ろうとした小野寺氏は大変立派な軍人と思った」と筆者に語った言葉が心に響いている。協力者を生涯守る姿勢は本物のインテリジェンス・オフィサーそのものだった。

 二十世紀末、筆者がモスクワ駐在中、クレムリン(ロシア政権)の高官らと、「情」のつながりを築いたのは、元外務省主任分析官の佐藤優氏だった。ソ連崩壊の遠因となった一九九一年八月の保守派のクーデターで、軟禁されたゴルバチョフ元大統領がクリミアの別荘で生存している情報を世界に先駆けて入手した佐藤氏は、ソ連崩壊後も極寒のモスクワで政治エリートやオリガルヒといわれた新興財閥などの有力者との間に豊富で確かな人脈を築き、本省勤務となって帰国後も、彼らとの友好関係を継続させ、北方領土返還交渉に奔走していた。

 モスクワで取材する筆者ら特派員よりも、佐藤氏が東京からディープスロートに電話をかけて極秘情報をいち早く入手することが多かった。エリツィン大統領がチェルノムイジン氏をはじめ次々と首相を解任したこと、また心臓病の持病があったエリツィン氏の本当の病名がパーキンソン病だったこと、そしてエリツィン氏が一九九九年大みそかに大統領を辞任することを、佐藤氏は誰よりも早く正確にキャッチしていた。

 佐藤氏が、戦後日本最強の「インテリジェンス・オフィサー」と評価されるのも当然だろう。筆者が小野寺氏の人間像を詳しく調べることにのめり込むようになったのは、モスクワで知遇を得た佐藤氏の存在が大きい。

 本書をまとめるにあたり、多くの文献も参考にさせていただいた。巻末にまとめて記して、御礼と共に紹介したい。なお、それらを引用するについては、読みやすさを優先して、適宜、言葉を補ったり、要約を施したりしている。ご了承願いたい。

 また、本書の出版にあたり、協力、支援いただいた多くの方々に御礼を申し上げたい。

 佐藤氏と外交ジャーナリスト、手嶋龍一氏には温かい助言や励ましをいただいた。

 小野寺氏のご遺族(長男駿一氏、長女端子氏、次女節子氏)は、大切に保管されていたご両親の史料を提供していただき、貴重なお話を聞かせてくださり、執筆を励まして下さった。とりわけ、『戦争回避の英知』などの著書がある大鷹節子氏は、夫の元オランダ大使、正氏と共に、ご自身でもご両親の消えたヤルタ密約電報を長年にわたり踏査され、数多くの知見や情報をご教示賜った。深く感謝申し上げたい。

 本書の内容は筆者個人の取材研究によるもので、筆者が勤務する産経新聞社の考えを代表するものではない。本書の刊行に深い理解を示してくれた産経新聞社の乾正人編集長に謝意を表したい。

 出版の機会を与えていただいたPHP研究所にも謝辞を捧げたい。

 PHP研究所学芸出版部の川上達史副編集長、文庫出版部PHP文庫課の横田紀彦副編集長には一方ならぬお世話になった。横田副編集長には学芸出版部在籍中から、小野寺信の人間像に興味を持っていただき、筆の進まない筆者と一年以上も気長にお付き合いいただき、適宜適切な指摘や提言をいただいた。後任の川上副編集長とは、氏が月刊誌『歴史街道』に在任時代から小野寺氏とポーランドとの縁で意気投合した仲で、筆者の意図を察して的確な助言とご尽力をいただき、本書を完成させることができた。両氏に感謝と御礼の意を表したい。

 最後に、いつも支えてくれる妻仁美と成長著しい長男航に本書を捧げる。


 二〇一四年八月十五日  東京・世田谷の自宅にて
岡部 伸 
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