わたしの古くからの知り合いである池上志津子さん(実名)はかつて、一六〇〇人の浄霊をなしとげた、あの男性の浄霊を受けていた。
二十数年前のその当時、彼女についていた浮遊霊の数、なんと、五〇〇体以上。
「陽気暮らしするようになってからは、そんなにも見えないですけど」
いまの彼女はそういうのだけれど、五〇〇体以上ついてたときは、尋常ではない数の霊が見えた。
「ウチのお座敷に、いろんな霊が好き勝手にいたんですよ。頭がおかしくなりそうで。二週間、寝かしてくれなくて」
いまだからこそ、池上さんは笑ってそういうが、あの頃は、しょっちゅう恐怖にうち震えた声でウチに電話をかけてきたものだった。
「見えるんです! 何とかしてくださいっ!!」とか。
「いま、ド、ドアに人の形が!」とか。
その頃のエピソードをふりかえって、池上さんは次のようにいう。
「ドアにあった人の形、ホントに人がいたんです。
それから、リモコンをいじってないのにテレビがついたから、『あれ?』って。
いっしょにいる娘を見たら、『いじってない、いじってない。えっ! リモコン、ひきだしにしまってる……』。
そしたらテレビにね、白装束の人が子どもを連れて、わたしのほうをじぃーっと見てるんです。
その白装束の人が段々こっちにくるから、わたし、『ダメっ、きちゃダメ! 嫌いっ!』って(笑)。
そしてね、お線香の匂いと読経の声が部屋に充満するんです、霊が出てくるときは。誰もお線香をあげてないのに、誰もお経をあげてないのに。
で、二階の階段から、膝から下だけ、足しか見えないんだけど、降りてくる。
それから、首だけ、というのもいて。あるとき、わたし、その首に質問したんですよ。
ホントはあんまり、浮遊霊と会話しちゃダメなんですよね。浮遊霊はウソをつくので、翻弄されないよう耳を傾けないほうがいいんだけど。
質問したら、それは、わたしの母方の遠縁にあたる方で、医大かなんかの研究室にいたんだけど、研究室が爆破されたんですって。
それで、自分は死んだと思ってない。お姉ちゃんのところに行ったし、お母さんのところに行ったけど誰も相手にしてくれない、といって、じぃーっとこっちを見て『えぇっ、わたし!?』みたいな(笑)。
そんなわけで、わたしは、例の一六〇〇人浄霊の男性に浄霊をやってもらっていました。
緊急的に、電話で浄霊を受けたこともあって、それは受話器をあげたままにして、向こうから送られてくる、霊を浄化するパワーを受けるんです。
それがすごい! こちらにパワーが届くと、ゴゴゴ……ゴォォーッと地響きがして立っていられない。そして、パワーが届いたと同時にスコーンと霊が抜けた」
ただ、いったん霊が抜けても、彼女がいつまでも霊を怖がっていたり、明るく楽しく生きてなかったりで、また浮遊霊を呼び寄せてしまう。
そこで、その男性は池上さんに何度か浄霊を行いつつ、明るく楽しく生きることを教えていった。
現在、あの男性から白光の水晶をあずかり、白光の戦士としてボランティアで【白光の浄霊】を行い、人助け霊助けをしている池上さんは、このように語る。
「ホントに、あのときはいろいろ助けていただいて。もし、出会っていなかったら、とっくの昔に、わたしは錯乱状態におちいって精神科の病院に強制入院させられたと思うんです」
◇◇◇
二十数年たっても、池上さんは例の男性に対して非常に恩義を感じているけれど、当の本人、浄霊を行ったその男性は二十数年前からずっと、彼女を救ったことはもちろんのこと、自分に浄霊ができることすら、ひた隠しに隠して生きていた。
元々が、あまり自分のことを話したがらないタイプというか何というか。
自分はあれもこれもそれもできる、何でも知ってて、どうよ、オレさま──みたいなところが一つもない。
それどころか逆に自分の波動をあえて消すこともあるぐらいで(これは本書とは別の話。機会があれば今度また)。
霊的な能力をひた隠しにしていた男性が、何百体、何千体といくつもの霊にとりつかれている人たちに浄霊をしている場面を、あるときから、わたしに見せてくれるようになっていた。
それはなぜだか、わたしにはわからない。
わかることといったら、知り合ったときから、わたしはあの男性のことを、
「本物に違いない」
と感じていた、ということ。たったそれだけ。