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政治・社会
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さらば、同志レーガン

『日本の総理学』
[著]中曽根康弘 [発行]PHP研究所


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 二〇〇四年六月五日、私にとって盟友であり、同志でもあった第四〇代米国大統領、ロナルド・レーガンさんが亡くなられました。忘れることのできない、いくつもの懐かしい思い出が走馬灯のように浮かびます。
「レーガン大統領は、自由主義世界の盟主として共産主義のソ連を崩壊させた。大局を踏まえて人を使うのが非常にうまく、将来出そうもない大統領だ。お互い一番尊敬し、信頼して提携できる同志だった。彼がいなくなり、何とも悲痛な気持ちだ」

 訃報に接して、私はマスコミにこう語りました。話したいことは山ほどありましたが、その思いを最小限にとどめました。

 あれは一九八三年一月、初めての日米首脳会談を前に、レーガンご夫妻がホワイトハウスで朝食会を開いてくれたときのことです。
「もうこれからはファーストネームで呼び合おう。これからはヤスと呼ぶよ」

 私は、大統領にいきなり、こう切り出されたのです。驚くより、なんと嬉しかったことか。すかさず私は「じゃあ、私はロンと呼びましょう」と返しました。二人の、いわゆる「ロン・ヤス関係」が始まったのはそれからです。

 以来、すっかり打ち解け合った仲になり、その後のトップ会談では、私のほうから、
「日米関係は世界の大きな運命を背負っている。あなたはピッチャーで、私がキャッチャー、だから、たまにはキャッチャーの言うことも聞いてほしい」

 と、気軽に話しかけたものです。

 二人の連携はとてもうまくいき、私がレーガンさんの窮地を救うこともありました。

 その年の五月、米国で行われたウィリアムズバーグ・サミット(先進国首脳会議)でのことでした。ソ連の核ミサイルに対抗するにはどうすべきか、レーガンさんとミッテラン仏大統領の意見が対立したのです。そこで私が割って入りました。「日本には憲法九条があって、ここで核戦略問題に踏み込んだ発言をすると、日本に帰って袋だたきにあうかも知れないが……」と言ってから、「西側陣営の団結ぶりを見せるためにも、意見をまとめよう」と提案したのです。

 私の発言が功を奏し、議長声明を出すことができました。レーガンさんからは「ヤス、サンキュー」とお礼を言われ、翌朝、宿舎にまでシュルツ国務長官が重ねてお礼に来られました。

 レーガンさんは、「強い米国が世界を民主化に導く」という信念を持ち、一発の弾丸も撃たずに東西冷戦に勝利した大統領です。「悪の帝国」(evil empire)と名指ししたソ連と断固として対峙しながらも、チャンス到来と見るやゴルバチョフ・ソ連大統領と手を結び、デタント(緊張緩和)を成し遂げたのです。

 内政では、モラルを大切にする「保守革命」を推進し、レーガノミックスといわれた大型減税と規制緩和政策によって、「小さな政府」をつくり上げました。いつもわかりやすい言葉で国民に語りかけ、「偉大な語り手」と親しまれた、指導者としてお手本になる政治家でした。

 総理大臣としてホワイトハウスで米国大統領と会い、日本と世界の平和と安全、そして繁栄について話し合う――これが、私の総理就任以来の念願でした。そのときの大事なカウンターパート(交渉相手)がレーガンさんであったことを幸せに思っています。丁丁発止とやり合って悔いのない素晴らしい相手でした。

 私は政府特使として、ワシントンで行われた国葬に参列しました。六月十一日昼(日本時間十二日未明)、小雨降るワシントン大聖堂には、フォード、カーター、クリントン氏ら歴代大統領をはじめ、私がかつてサミットでお会いしたサッチャー元英首相、ゴルバチョフ氏ら約二〇〇〇人の内外の弔問客が集い、レーガンさんと最後のお別れをしました。レーガンさんが生前に書き残したという式次第に沿って、厳かな中にも心温まる思いやりを感じさせる演出が随所にほどこされていて、それは大きな感銘を受けたものです。

 棺を見送りながら、一九八三年十一月十一日、私の別荘、奥多摩・日の出山荘にレーガンご夫妻を招いたときのひとこまが脳裏に甦りました。

 囲炉裏を囲んでの食事に大喜びのお二人でしたが、このとき、レーガンさんが懸案の日米金融問題を持ち出したのです。
「この協議はブッシュ(副大統領)に任せたい」と言う大統領に、私は「いや、これはシュルツさん(国務長官)と安倍君(晋太郎外相)の間で話し合うことになっているはずだ」と譲りませんでした。するとレーガンさんはすぐに携帯電話でどこかに電話した後、「ヤス、アイム・ロング」(Yasu, I'm wrong=私が間違っていた)と言うのです。

 超大国の大統領であっても、自分の誤りがわかったら、率直に認め、ただちに訂正する。私はそのとき、この人はこういうやり方で大統領になったのだ、素晴らしい人だなあ、と感心し、心から敬服したのです。

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