西田門下には、戸坂潤をはじめ三木清や谷川徹三などマルクス主義に理解を示す者も少なくなかった。『回想の戸坂潤』には、やはり西田門下でマルクス主義に傾斜した船山信一(のち立命館大学名誉教授)が、当時の父たちと戸坂潤の関係を前出の梯明秀とは真反対に捉えて、次のように書いている。
〈京都時代の戸坂さんはまだ空間論や性格学をやっておられた。戸坂さんは当時進歩的な哲学科学生からは支持され、そのグループの中心となっておられたが、先輩の中では少くとも思想的理論的には孤立しておられたようであった。ただし戸坂さんは田辺先生とは随分議論されたし、田辺先生の方でも戸坂さんの所説に耳を傾けられ、戸坂さんの方でも田辺先生に好意をもっておられたが、戸坂さんは先輩の高坂正顕氏、同期の西谷啓治氏、後輩の高山岩男氏等のグループとは互いに思想的に隔絶しておられたようであった。