◆可もなく、不可もない
この頃取材をして感じるのが、生活に物足りなさを募らせている女性の多さだ。
ある女性は、その日常を「シナモンの利いていないアップルパイみたいなもん」と譬えていたが、きっと取り立てて不幸がないかわりに、スパイスの利いたトキメキもない、という意味なのだろう。
慶子さんも、そんな日常を語った一人だった。彼女を取材したのは、もう二年ほど前になるだろうか。当時、出版する本の関係で私は会社を辞めた女性たちに取材を進めていたのだが、慶子さんもまさに退職経験者。七年勤めた大手食品メーカーを辞めて、一年間ロスに留学。帰国したばかりだったのだ。
彼女が語学留学を決めたのは二十八歳の終わり頃だ。スキルアップが表向きの理由だったが、話を聞けば本音は微妙に違っていた。
当時、社内では同期の仲間がほとんど結婚退職していた。後輩は育ち、慶子さんは会社に居場所を失いつつあった。もはや会社に未練などない。しかし、かといって他にやりたい仕事も、結婚のあてもない。そこで彼女が思いついたのが、留学退職の道だったのだ。
これなら結婚退職に負けないくらいメジャーな見送りが受けられる。何より、海外に行けば英語が話せるようになるし、新しい出会いも期待できそう。うまくすれば、日本に戻って結婚と仕事をダブルで確保できるかも、と。
しかし期待を胸に渡米したものの、彼女が入学したのは、日本人ばかりの語学学校。結局、現地でも日本人同士でツルみ、結果を残せないまま予定の一年が経過。彼女は手ぶらで帰国することになってしまったわけだ。
「ロスでの収穫は、ピアスの穴だけだったな……」
当時の取材で、彼女は耳たぶに並んだ三つの穴を見せながら、苦笑いしていたものだ。
その彼女に再会したのは先月のことだった。
後追い取材というほど大げさではないが、どうしているかな、と連絡をしてみたのだ。
すると彼女の近況は、思いもよらぬ方向に進んでいた。
◆「もう、後悔はしたくない」
帰国後、すんなり再就職できなかった彼女は、花屋でアルバイトをはじめた。あくまでも再就職までのつなぎと考えてのことだ。ところが花の美しさやアレンジする面白さにすっかり取りつかれてしまった彼女は、その後一年半の間にフラワー・デザイナーの資格と、仕入れのネットワークを確保。自分で花屋を開いていたのだ。
彼女の店は、自宅の最寄り駅の商店街にあった。八百屋と薬屋の間にある私道を利用しての一坪ちょっとの商いは、どちらかといえば露店に近い雰囲気だ。
「こんな野ざらしの店で、恥ずかしいなあ」
小さな花束を手際よく作りながら、彼女は横顔のままで笑った。
すっぴんのせいか、二年前に取材したときよりも頬は幾分こけていた。花を束ねる指先には、自慢の長い爪もネイルアートもなかった。
けれど、小さな店内を所狭しと動き回る彼女は、華奢な外見を裏切るほど、全身から力をみなぎらせていた。ピアスの穴をいじりながらうつむいていた、あの頃とは別人のように。
何が彼女を変えたのか。
忙しい彼女は多くを語らなかったが、ぽつりと口にした一言が耳に残った。
「もう同じ後悔を、したくなかったんだ」
留学から帰ってきた当時、彼女は「行かなきゃよかった」と繰り返していたものだ。
あのとき、彼女は会社に居づらいからと、留学の道を選んだ。言い換えれば、現状から逃げるために、お手頃な扉を開けたわけだ。
しかし、今回はどうだったろう。花屋の開店にあたっては、親はもとより、すでにママになっている親友も、大反対だったという。
彼女は三十二歳。そう、誰もが「無難にOLしながら結婚相手を探せ」と、提案したのだ。
けれど彼女は突っぱねた。その提案に乗れば、再び「逃げ」の扉を押すことになるからだ。もちろん自分の選択に不安がなかったと言えば嘘になるだろう。小さいながらも店をオープンするためには、資金もいるし、経営のノウハウも必要だ。好きだけでは続かない。
しかし彼女は自分の意志を貫いた。もう二度と後悔したくないと、自ら選んだ扉を開けているのだ。
◆勇気を出して、新しい扉を開けてみよう
寒空の下、店に立つ彼女の唇はカサカサに乾いていた。それでもリップクリームすら塗らず、彼女は忙しく働き続けていた。
飾り気など何もない。荒れた手も唇も、痛々しいほどだ。けれど、花束を作る横顔、花のアドバイスをする笑顔、レジを打つ背中、どれもが不思議なほどに輝いて見えた。
それは、彼女の動作のすべてに「夢中」の二文字がつくからだと思えてならなかった。
「いい歳して、クラブなんか行けないよ」
慶子さんの店から帰る途中、私は友人とかわした会話を思い出していた。踊りに行こうと誘われ、私はあっさり断っていたのだ。そういえばゴスペルソングの体験レッスンの誘いも、適当な理由をつけて行かなかった。興味はあるのに、歳を考えると恥ずかしい。だから「今さら」とか「向いてないよ」と自分に言い訳をして、お茶を濁していたのだ。
年齢を重ねるにつれ、私たちは自分で勝手に「立入禁止区域」を作っていないだろうか。
開けたい扉があるのに、躊躇してしまう。そのくせ、甘いだけのアップルパイを惰性で頬張りながら、シナモンの利いたアップルパイが食べたいとボヤいてはいないだろうか。
もし、慶子さんのように、自分に素直な気持ちで新しい扉を開けられたら……。間違っても後悔はしないし、いつかきっと夢中になれる何かに巡り合えると思うのだ。恋愛でも、仕事でも、趣味でも、輝ける何かに。
次の週末は最新のクラブ、とやらで踊ってみようか。それともゴスペルを腹の底から歌ってこようか。
慶子さんが作ってくれたトルコキキョウの花束を抱え、私は久々に新しい扉を開けてみたいと強く思った。