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ヨーロッパの戦略思考
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政治・社会
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バルト海とソ連潜水艦

『ヨーロッパの戦略思考』
[著]古森義久 [発行]PHP研究所


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 さて「ソ連の脅威」についての欧州専門家たちのインタビュー報告は、まず北欧のスウェーデンから始めることにしよう。

 スウェーデンはいうまでもなく中立国である。過去百五十年間も中立を保ってきた実績がある。北大西洋条約機構(NATO)にも、ワルシャワ条約機構にも属していない。東西の二大集団防衛機構のいずれにも所属せず、独自の武装中立を貫いてきた。

 つねに東西つまり米ソの緊張緩和を唱えるが、自国の領土を守り、中立と主権を保つための軍事努力は怠っていない。ソ連への警戒も強いがアメリカにも近づかない。ことに六〇年代後半、アメリカがベトナムへの軍事介入を強めたとき、激しくそれを非難して国内には反米の風潮がぐっと強まりもした。その結果アメリカから敵視されもした。

 八月はじめのスウェーデンの首都ストックホルムは、明るい陽光にあふれていた。かなり強い日差しに街中がキラキラと輝くようである。バルト海の入江がすぐ足元にまで切りこむように入り込んで、木々の緑と美しい対をなす。老いも若きも、短い北の夏をひとしずくも残さずに満喫するかのように戸外に身をさらしていた。

 だが街の表面ののどかさとは裏腹に、スウェーデンは、いま一種の緊急事態下にある。国の安全保障上、緊迫といってよい状態にある。そしてそれはまさに私が追おうとするテーマ「ソ連の脅威」から生じているのである。ソ連の潜水艦のスウェーデン領海侵入がずっとつづいているのだ。いくら撃退を試みても、いくら抗議を重ねても、それは執拗に繰りかえされる。その結果、官民あげてソ連への態度を硬化させ、防衛力の強化を求めるという現象が起きているのである。

 こんな状態のスウェーデンで、たとえ専門家たちにとはいえ、ソ連の軍事力や戦略をどう評価するかといま尋ねるのは、バランスを欠くとの考え方も成り立つだろう。国中に反ソ感情が高まっているからである。

 だがソ連の潜水艦のスウェーデン領海侵犯は、ここ一カ月とか二カ月の事件ではない。二年も三年も前からずっとつづいているのだ。もはや一時的な現象とか一過性の事件とはいえない。スウェーデンをとり囲む安全保障上の大きな要因にすでになっているのである。だからそれがいまのスウェーデンの普通の状態でもあるのだ。

 ストックホルムの街はずれ、丘の上にある国防省をまず訪れた。構内で芝生を刈る若い兵士の姿がまっさきに目についた。戦闘服とも呼べるような緑色の制服を着ている。同色の帽子をかぶっている。と、兵士がそれまでかがめていた上体を起こし、顔をあげた。帽子のわきから豊かなクリ色の髪がこぼれた。若い女性だった。国民皆兵に近いスウェーデンの国防態勢を象徴しているかのようだった。

 スウェーデン国防省のベルティル・ラーゲルバル広報課長にこの国の安全保障についての基礎的なブリーフィングを受けたが、その話の最中にも潜水艦事件の影響をいやでも感じさせられた。話し合いが電話で何度も中断されるのだ。ラーゲルバル課長は電話が鳴るたびに「失礼します」と私に言い、すばやく受話器をとって、うなずきながらメモをとり始める。
「一般市民からの潜水艦情報なのです。そのなかでおもなものは私の所まですぐあげるようにしているのです」

 もし正体不明の潜水艦らしいもの、あるいは国籍不明の潜水艦の存在につながるようなものを発見したら即刻、国防省まで通報を、という呼びかけが全国に出されているのだという。

 この呼びかけに対しスウェーデン国民はきわめて敏感に反応した。八四年八月はじめまでの二カ月半ほどの間に、きちんとした通報だけで七百数十件に達した。一日平均にすれば十件以上である。
「潜水艦らしい黒い大きな物体が水面下をよぎった」「潜望鏡のようなものが海面に首をのぞかせていた」「潜水艦の付属物らしい物体が海岸に漂着していた」「漂着したなにかの破片にロシア語らしい文字があった」……といった通報である。大多数は実際になににもつながらなかったが、みな真剣な連絡だったという。

 バルト海に沿って長くのびるスウェーデンの海岸線は延べ一万五千キロにも達する。海岸に近い大小の島々は数千に及ぶ。海の安全保障には国民はとくに細かな神経を払うのも自然である。

 しかしその後の専門家たちとのインタビューでも、ソ連の潜水艦侵入事件はつねにまず冒頭で飛びだしてきた。潜水艦事件を語らずには、ソ連の脅威とか軍事ドクトリンについてはなにも語れない、というふうなのである。そこで最初に、どうしても無視のできない背景として、この潜水艦事件がいったいどのように起きてきたかを説明しておこう。

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