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ヨーロッパの戦略思考
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政治・社会
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おわりに

『ヨーロッパの戦略思考』
[著]古森義久 [発行]PHP研究所


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 さて各国の専門家たちとのインタビューによってさぐってきたヨーロッパの戦略思考とは、全体像としてはいったいどんなものだろうか。ヨーロッパの安全保障観とはどんな実態なのか。国から国へ色あいはさまざまに変わりはするが、各国を一貫してつらぬく、いくつかの共通項が厳然と存在することはたしかである。多少のズレとか差違はあっても、基底部分で各国をしっかりとつなぎとめる共通のきずながあるのである。そうした共通基盤がゆるぎなく存在することこそ、まさに私にとってもっとも強烈な印象で迫ってきた点だった。

 このようなヨーロッパの戦略思考に共通な基本点のいくつかをここでまとめてみよう。

 第一は、平和を守るための防衛力の意義へのコンセンサスである。

 平和を守るためには、程度の差こそあれ軍事力を持たねばならない、ということは中立国のスウェーデンを含めて、ヨーロッパのどの国でも自明の理とされている。ただしここで「平和」をどう定義づけるかがカギとなる。平和を単に「戦争のない状態」として考えれば、他国の侵略を受けても抵抗せず、その支配下に入れば平和は守られたといえる。だがヨーロッパのどの国も、「自由と独立をともなう平和」こそが守るべき平和である、との基本をしっかりと打ち立てている。

 独裁の全体主義を外部から押しつけられても、抵抗せず戦争にさえならなければ平和はつづくからよい、といった考え方は、どの国でも排されている。抑圧や隷属の下にある戦争のない状態は、真の平和ではない、というわけである。だから抑圧や隷属への動きに対しては、断固、戦わねばならない、とするのだ。つまり自国の独立や自由を守るためには軍事力が必要というコンセンサスなのである。

 外国から侵略があっても、戦争のない状態をただ守るためには、いっさいなんの抵抗もしなければよい、というような無抵抗主義は、現実の政策としては完全に排除されている。ましてまったくの非武装はどのヨーロッパの国のどんな少数派でも口の端にものぼらせていない。

 第二は、ソ連を脅威とみる確固とした認識である。

 ソ連が西側に対して必ずや戦争をしかけてくる、などという考え方ではない。だがソ連のマルクス・レーニン主義政治体制の膨脹志向、イデオロギー的攻撃性、軍事力の政治利用パターンなどを根拠として、ソ連を少なくとも長期的な潜在脅威とみる認識は、スウェーデン、オランダをはじめ西ドイツ、フランス、イギリスのすべてに共通している。その基本認識への異論もまず聞かれない。

 とくにソ連がバルト三国を併合したり、フィンランドを攻撃したり、ハンガリーやチェコスロバキアを武力弾圧したり、という過去の軍事行動を、どの国でも重視している。ソ連の政治体制が個人の自由を抑圧する全体主義、独裁支配で、本質的には西側の体制とは絶対に相容れない、とする点も共通している。西側がもし軍事力を放棄したり、決定的に弱めたりすれば、ソ連は必ずや西側に進出してくるだろう、という見方もどの国でも一致していた。そしてどの国の専門家もがすべて声をそろえて断言したのは、ソ連の当面の狙いが「米欧分断」にある、という点だった。北大西洋条約機構(NATO)を基礎に安全保障面で一体となっているアメリカと西ヨーロッパ諸国とを切り離すのが、ソ連の当面の目標だとする分析である。

 第三は、安全保障の基本を抑止と均衡とにおく政策である。

 戦争や侵略を防ぐには、それを物理的に断固としてはねのけられる能力を持つ。こちらからは決してさきに攻めたりはしないが、もし相手が攻めてきたら反撃して、受け容れがたい損害を与える。相手が攻めることで得ようとするプラスよりも大きなマイナスを与える。そうした反撃の能力と意思を保ち、外部に明確にそれを示す。潜在敵国はそういう反応がわかっていれば、侵略とか攻撃をかけようという気を起こさなくなる。これが簡単に言えば抑止である。この抑止こそがスウェーデンをも含めて西ヨーロッパ諸国の防衛の基本となっている。

 抑止と一対になる考え方が均衡である。政治的に、あるいはイデオロギー的に対立する国同士の間では、軍事力が均衡しているときにこそ、平和がもっとも確実に守られる、という考え方が均衡政策の根本となる。歴史をみると、戦争とか侵略は一国が対立相手の国に対して、軍事力で完全に優位に立ったとき、あるいは優位に立ったと思ったときに、大体は起こっている。戦争をしても勝てると思うからこそ戦争に踏みきるからだ。逆に言えば、戦争をしかけても勝てない、あるいは反撃によるたえがたい被害をこうむるとわかっていて、それでもなお戦争をしかける国はまずない、ということである。だから一方を優位に立たせない均衡を保つことこそ、安定への道だとするわけである。

 第四は、集団安全保障態勢への信奉である。

 中立国スウェーデンを除く西欧の国々、イギリス、フランス、オランダ、西ドイツはみなNATOに加盟している。NATOは加盟国のいずれに対する攻撃も、すべて加盟国十六カ国全体への攻撃とみなして一体となって反撃する集団防衛態勢である。攻撃する側にとっては、加盟国のすべてを一時に敵とする覚悟がなければ、手は出せないわけだ。この集団の相互扶助こそが安全を高め、平和を確実にする方法だという考え方がその背後にある。

 人間を例にとっても、ひとりで孤立して外敵に当たるよりも、何人かがまとまって対処する方が力が強くなるのは、言うまでもない。自分にもし危害を加えれば、必ずや十数人の仲間が集団となって反撃するぞ、という構えをとっていれば、危害を実際に加えられる可能性はずっと低くなるわけである。

 西ヨーロッパ諸国にアメリカとカナダを加えたNATOは、一九四九年の発足だが、以来その域内では侵略とか武力衝突を一件も起こさずに現在にいたっている。三十六年間にわたり、その集団防衛態勢の抑止効果を発揮してきたとされるわけだ。この間に世界の他の地域では数えきれないほどの武力紛争や戦争が起きている。NATO加盟国も、西欧や北米以外の地域では紛争の当事者となったことはあるものの、NATOの地域内ではそうした事態をまったくひき起こさないできたのである。

 この点、西ヨーロッパは、憲法の解釈によって集団的自衛権を禁じるとする日本とは対照的である。日本では集団防衛態勢を危険だとするのに対し、西欧では個別の防衛こそ危険は高まり、集団防衛ほど平和の保持は確実になるとの考え方をはっきりととっているわけだ。

 第五は、核抑止力への依存である。ただ、この点はスウェーデンだけは例外となる。

 核兵器への不安や懸念はどこの国でも高まりはしている。だがそれでもなお、各国の多数派は核兵器による抑止力が西ヨーロッパの安全保障の最後の柱だとして認めている。ソ連の脅威に対する防衛手段のなかの不可欠な部分とみるわけである。

 この点は反核運動の高まったオランダなどでさえ同様である。自国内への新しい中距離核ミサイルの配備には激しく反対しても、自国の安全をNATOの核抑止力にゆだねることには賛成する。そうした考え方の人たちが圧倒的に多いのである。オランダの国防白書では核兵器を戦争抑止の一種の必要悪として位置づけている。核抑止が過去四十年間、東西間の戦争を防ぐことに大きな役割をはたしてきた実績は否定できない、とするのだ。

 西欧各国にとってことにアメリカの戦略核戦力への依存は、死活的な重要性を持っている。有事の際、たとえ攻撃を受けてしまったあとでもなお、ソ連に対して壊滅的な反撃を加えられるのはアメリカの核戦力だけである。西欧は核の面ではソ連に対して非力に近い。イギリスやフランスの独自の核戦力もそれだけではソ連の核にはまったく圧倒されている。そこで西欧がもし侵略を受け、敗北が明白という場合には、最後の最後の手段としてアメリカの核による反撃もありうるのだという核抑止にもとづく防衛態勢を組み立てることとなる。イギリスや西ドイツが自国の防衛をアメリカの核戦力と結びつける“カップリング”がこれである。この“カップリング”を最重視する西欧各国のコンセンサスにはなお基本的なゆるぎはない。自国の防衛にアメリカの抑止力を取りこむ政策への支持である。

 西欧のアメリカの核への依存は、欧州での東西の非核戦力のバランスを考えると、なおさら重要性がわかる。ヨーロッパの通常戦力比ではソ連・東欧側が西側に対し、完全に優位に立っている。西側にとっては「核を使わない戦争では負けてしまう」という情勢認識が常に重くのしかかっているわけだ。だから最悪の事態にはアメリカの核を頼りに、というのが抑止の基本となってくる。

 第六は、防衛政策への一般世論の重要性増加である。

 核兵器増強への不安は、ヨーロッパのどの国にも広まっている。核を必要悪としながらも、東西両陣営が核兵器をどんどん増強していくことへの懸念もまた深くなっている。中距離核ミサイル配備への反対運動がオランダや西ドイツ、イギリスなどで高まったのもそのせいである。

 この結果、それまでは自国の防衛政策についてほとんど関心を持たず、まして発言などまったくしなかった国民一般の幅広い層が意見や感情を述べるようになった。どんな素朴なレベルでにせよ、防衛とか安全保障について語るようになったのである。

 この傾向は防衛政策を立案する側にとっては、事前に国民一般にアピールして、その同意を取りつけることが必要になった実情を意味している。「防衛政策の民主化」として第八章で詳述したのがこの点である。

 どの政権もこれまでのように、まずごく少数の専門家たちに防衛政策づくりをゆだね、議会や国民からは事後の承認を得るだけでよいというパターンからは脱け出ることが必要になってきた。国民一般に対する安全保障についての訴えや語りかけが欠かせなくなってきたのである。この傾向は自由に開かれた民主主義の政治体制では、いわば宿命ともいえよう。

 第七は、軍縮や軍備管理の重視である。

 西ヨーロッパのどの国でも、抑止のための軍事力の保持は絶対に欠かせないとしながらも、その一方では軍縮や軍備管理の重要性を一貫して説いている。軍備をコントロールしようとする努力を常にとだえさせていない。

 ただし軍縮の大前提とされるのは均衡である。ソ連・東欧側との軍事力の均衡を崩さないで、そのバランスのとれた水準をそのまま相互に下げていこう、というのが考え方の基本となっている。抑止力をなくさず、均衡を崩さず、軍備削減をめざそう、というわけだ。

 相手がどう反応しようがとにかく自分だけが一方的に軍備を削減するという一方的軍縮は、ヨーロッパのどの国でも多数派からは完全にしりぞけられている。七〇年代にアメリカが実質上の防衛費削減をしても、その結果はソ連をより一層の軍拡、より一層の勢力拡張に走らせたにすぎないという教訓がいまもってきわめて重視されている。

 第八は、ソ連との対話や交流の推進である。

 ソ連を脅威として認識し、その強大な軍事力に対する抑止の保持を不可欠とする。ソ連の政治体制を反自由、反民主主義と規定して断固、批判する。しかしなおソ連が消えてしまうわけではないのだからとして、共存の重要性を説く。ヨーロッパ各国はそんな基本姿勢をとっている。

 ソ連の体制は西側のそれとは水と油だとしながらも、そんなソ連との意思疎通は欠かせない、とする。対話や交流は絶やしてはならないとする。西欧のしたたかな戦略思考はこうした点にも十分すぎるほど目くばりをきかせているのである。

 だが日本で語られる西欧論のなかには、西欧各国がとかくアメリカとはまったく別のアプローチでソ連にのぞんでいる、という構図が描かれることが多い。対話への重要性のおき方などでは、たしかに米欧の間には大きな違いがある。しかし西欧の側の表面より柔軟で、より妥協的にみえる対ソ姿勢の基底には、これまでずっと詳述してきたようなきびしいソ連脅威の認識と、ゆるぎのない抑止力の保持とが厳然と存在する。この点はアメリカと変わらない。この基底部の軍事努力や脅威認識を見ずに、表面の柔軟性だけをすくいあげて語るのは、きわめてバランスを失したアプローチであり、危険な見方でもある。


 こうしたヨーロッパの安全保障の実情は、日本の一部の“進歩派”からすれば、限りなく「右寄り」であり、限りなく「タカ派」ということにもなろう。ソ連をはっきりと脅威として認識し、抑止としての軍事力の必要性をためらわずに認知しているからである。この点では日本でごく平和的、ハト派的に受けとられているスウェーデンもオランダも、はてはスイスもオーストリアも同様であろう。まして左翼のフランス社会主義政権でさえ、ソ連の脅威と抑止保持への認識は非常に強く、ゆるぎのない一枚岩である。

 だから日本の一部の“進歩派”のレッテルをそのまま受け容れるならば、ヨーロッパはすべて「タカ派」であり、「右寄り」になるのである。

 だがここで立ちどまって考えざるをえない。ヨーロッパの各国、とくにスウェーデンとかフランスとかオランダがほんとうに過激で危険な考え方を持っているのだろうか。戦争を始めようとでも考えているのだろうか。答が「ノー」であるのは明らかである。

 となれば日本の“進歩派”の使う「タカ派」とか「右寄り」というレッテル言葉のほうにこそなにかおかしな点があるに違いない。隠されたトリックがあるに違いない。あるいは国際的な現実からはまったく遊離した言葉の遊戯であるに違いない。

 非共産主義の政治体制を保つ限り、西側にとっていまのソ連の軍事政策は不可避的に脅威となる。独立と自由をともなう平和を守るためには、いまの国際環境ではやはりこれまた不可避的に、抑止のための防衛力を保つことが必要となる。こういう考え方や認識は、西ヨーロッパでは右も左も共通の、タカもハトも共通の基本の大前提として自明の理とされる。

 こうした西欧、つまり西側自由主義陣営の安全保障観と、日本のそれとの間には、いかにまだ深いギャップがあるか、私が本書をまとめてみて改めて痛感したのはこの点だった。

 日本が今後こうしたギャップを埋める方向に進むのか、それとも日本には日本なりのやり方があるのだとして、安全保障面での孤立を覚悟であくまで独自の道を進むのか。それは日本の運命そのものにかかわる選択であろう。
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