読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/9/29 UP)

犬耳書店は、姉妹店のRenta!(レンタ)へ統合いたします。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-1
kiji
0
1
1161319
0
[新訳]兵法家伝書
2
0
0
0
0
0
0
ビジネス
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
しなやかな心──殺人刀活人剣

『[新訳]兵法家伝書』
[著]柳生宗矩 [編訳]渡辺誠 [発行]PHP研究所


読了目安時間:6分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


 物事に対処するときによく使われる「平常心(へいじようしん)」とは、何だろう。

 組織の命運を(にな)指導者(リーダー)に求められるその平常心の真実に、真剣勝負という冷厳な極限状況を引いて、剣の使徒たる著者柳生宗矩(やぎゆうむねのり)は、執拗(しつよう)なほどに迫るのである。
殺人刀(せつにんとう)」という禅語を冠したこの巻は、剣の道における勝利の鉄則を踏まえたうえで、創造するためにはあえて辞することのできない「破壊」の道の深奥(しんおう)にあるに相違ない、平常心という道心(どうしん)へと論は展開する。




 こんな古いことばがある。

 ──武器というものは災難を招く道具である。天の理法によれば、だから、武器は非難されるものである。が、やむを得ず武器を用いることがある。これも天の理法にほかならない。

 自然のままで作為(さくい)のないことを天の理法、つまり「道」とした老子(ろうし)の教えだ。

 なるほど、弓矢とか、太刀とか、長刀(なぎなた)とかいう武器は、不吉(ふきつ)な道具だといえる。

 物本来の生命力を活性化するのが、天の(ことわり)であるはずなのに、武器は生命を減殺(げんさい)する道具とされるから、「不祥(ふしよう)(うつわもの)」ということになる。天道(てんどう)に非難されるゆえんである。

 しかし、老子のことばにあるように、どうしようもない場合、武器を用いて人の生命を絶つこともある。これまた、天道なのだ。

 どうして、そういえるのか?

 春風に誘われて花が咲き緑なす植物も、秋となりやがて霜の降りる候となれば、葉も落ちるし木も枯れる。

 それが天道の裁きというものである。天は、森羅万象(しんらばんしよう)が極点に達すると、このようなお裁きをなすのを理法としているのだ。

 人間の「悪」も、運命によっては、手が付けられぬほどに(きわ)まってしまうことがある。これを討ち取るのに武器を用いることは、それゆえ、天道といえるのである。

 一人の悪によって万人(ばんにん)が苦しめられているとき、その悪を殺して万人を()かす。

 まことに、人を殺す(かたな)、「殺人刀(せつにんとう)」は、人を活かす(つるぎ)、「活人剣(かつにんけん)」となる道理ではないか。


 原文 (いにしえ)にいへる事あり、兵者不祥(つわものはふしよう)(うつわもの)なり、天道之(てんどうこれ)(にく)む、()むことを()ずして之を(もちい)る、(これ)天道也と。

    (この)こと如何(いか)にとならば、弓矢・太刀・長刀、是を兵と(いう)、是を不吉不祥の器也といへり。其故(そのゆえ)は、天道は物をいかす道なるに、却而(かえつて)ころす事をとるは、(まこと)に不祥の器也。しかれば天道にたがふ所を(すなわち)にくむといへる也。

    しかあれど、止むを得ずして兵を(もちい)て人をころすを、又、天道也と云。其心如何(そのごころいかに)となれば、春の風に花さき緑そふといへ(ども)、秋の霜(きたり)て、葉おち木しぼむ、是天道の成敗(せいばい)也。物の十成(じゆうじよう)する所を(うつ)ことはりあらば也。

    人も運に乗じては、悪をなすといへ(ども)、其悪十成する時は、是をうつ、之をもつて兵を用るも天道也といへり。

    一人(いちにん)の悪に(より)万人苦(ばんにんくるし)む事あり。しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。是等(これら)誠に、人をころす刀は人をいかすつるぎなるべきにや。

【解説】

 冒頭のこの文章では、人を殺すことが人を活かす道になり得る、と著者柳生宗矩(やぎゆうむねのり)はいっています。

 おだやかでない物言いですね。でも、それは天の摂理(せつり)に背くものではない、と老子のことばの意を汲んで、著者は断言するのです。

 もちろん、それには大いに条件を付けています。

 殺すべき対象は極悪人(ごくあくにん)、つまり手の付けられない悪人に限るということ。それから、その極悪人のために、万人が苦しめられているということ。そういう条件です。
一殺多生(いつせつたしよう)」という、仏教の教えがあります。文字どおり、多くの者を生(活)かすためには一人の悪人を殺すのもやむを得ないということです。たとえば、(ぼさつ)大盗人(おおぬすつと)を殺す(たぐい)です。著者の見解は、殺生(せつしよう)を戒めることを説く仏教にも、実は(のつと)っています。
兵法家伝書(へいほうかでんしよ)』が書かれた時代は泰平に移りゆく世でしたが、江戸幕府という組織はまだ磐石(ばんじやく)なものではありませんでした。この組織の指導者(リーダー)だった三代将軍家光(いえみつ)のブレーンの一人とされた著者は、平和という大きな利益(りやく)をもたらすために、その障害となる分子を「悪」と断じてこれを「殺す」べきことを、治国(ちこく)の指針として啓蒙(けいもう)しているのです。

 もちろん、生命の尊厳をうたう近代法治(ほうち)国家では、「殺す」ことは犯罪です。何が善で何が悪か、という慎重な議論も必要です。
「殺す」とは、万人の苦しみの根っこにある勢いを絶つ、というふうに現代では受け取らねばならないでしょう。

 もう一つ、この冒頭の一節に読み取れることがあります。
「人をころす刀」と「人をいかすつるぎ」、すなわち「殺人刀(せつにんとう)」と「活人剣(かつにんけん)」、二つを合わせたことばは、禅から来ています。活かすも殺すも自由自在な心のはたらき、道心(どうしん)を体得することを、禅ではこのように刀剣にたとえて、修行者を教え導くことになっています。

 平和な時代に適した兵法は、身体と身体とが生死のやりとりをする術を脱して、「心の兵法」としての道でなければならない、と確信した著者は、禅の思想をこの剣術書に吹き込みました。そのコンセプトをこの禅語に託して、すでに最初に暗示しているのです。

 新時代の指導者には、まず、とらわれのない、しなやかな心、自由自在な心のはたらきが大切なのですよ、と著者はいっておきたかったのでしょう。

 兵法のスキルではなく、スピリッツに重きを置いた本書にふさわしい導入部です。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:0文字/本文:2561文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次