客家の人たちにこうした意識が強く形成されていったのには、およそ次のような経緯があった。当然ながら朝鮮半島人の事情とはまったく異なっているのだが、ある種の歴史的な境遇については通じるところがあるようにも思われる。
「『中華』の文化主体としての意識が形成され、対極概念としての『夷狄』に対する抵抗力が増す一方、モンゴル軍に圧迫されて華南の山間地帯に拠点を構築する過程で、この漢民族の一群は、ミャオ族、ヤオ族、トン族などの非漢民族との抗争・融和を体験し、福建・広東両省の先住漢民族と鎬を削ることになった。
このような社会的摩擦のなかで、彼らは、統一的意志をもつ集団に練成され、先住の土着民社会と区別して、外来の客民、という意味で、『客家』とよばれるようになった。