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敵国になり得る国・米国
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政治・社会
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まえがき

『敵国になり得る国・米国』
[著]青木直人 [発行]PHP研究所


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 毛沢東が文化大革命を発動してちょうど四十年目にあたる二〇〇六年。この節目の年に、事件の中心人物だった中国人女性がひっそりとこの世を去りました。

 中国の公式メディアは、この事実を淡々と報じています。
「中国社会科学院外事局元局長であり、中華全国婦女連合会の元執行委員であった王光美同志は……十月十三日北京において死去した。享年八十五。遺体は北京の八宝山革命墓地に埋葬された」

 記事はさらに、彼女が輔仁大学で英語を学び、抗日戦争中は延安で軍事委員会の外事工作に従事、その後共産党に入党し、劉少奇(りゅうしょうき)の妻となったこと、そして文化大革命当時「林彪、四人組の残酷な迫害」を受けたことなどを伝えています。
「狂気」の文化大革命の主役は、現代史の舞台から、その姿を消したのです。

 しかし、劉少奇・王光美一族と、ヘンリー・キッシンジャーとの秘められた関係は、今でも決して報じられることはありません。

 キッシンジャーとは、あの電撃的な米中和解を演出した米国の元国務長官のことです。

 毛沢東が死に、江青(こうせい)ら急進派が粛清され文革が終わりました。その直後、劉少奇の三女・劉亭は中国政府の第一次国費留学生に選出され、太平洋を越え、米国での学生生活を始めていました。留学先は名門ハーバード大学でした。

 彼女は失われた青春の日々を必死に取り返そうとするかのように一心不乱に学業に励んだ、と当時の関係者は証言しています。その劉亭がハーバード大学卒業後、求めた職場はロックフェラー財団でした(その後、彼女は米国国籍を取得)。このロックフェラー財閥の外交顧問が、国務長官を辞任し、民間に天下っていたばかりのキッシンジャーだったのです。劉の財団入りにはキッシンジャーとの関連がさまざまに噂されました。

 ほぼ同じころ、中国では建国以来、初めて政府直属の総合商社が生まれました。名前を「光大実業公司」といいます。同社は趙紫陽(ちょうしよう)首相(当時)の強い影響下にあったのですが、その会長職に就任した王光英こそ、王光美の実兄、つまり劉亭の伯父だったのです。

 驚かされるのは、この「光大実業公司」の国際アドバイザーもまた、キッシンジャー元長官が務めていたことです。
「文化大革命」という動乱の時代が終わり、開放政策が始まりました。その時から、密かに世界的なビッグビジネスと中国共産党幹部たちの私的なつながりもスタートしたのです。

 本書をお読みいただければお分かりのように、そうした関係は、なにも劉少奇ファミリーとキッシンジャーだけではありません。

 二十一世紀に入り、中国市場経済はいっそう本格化し、同時に米国大企業の対中投資も急増し、両国の経済貿易関係は緊密の一途をたどっています。それを受けて、いまや米中関係は明らかに新しいパラダイムを模索しつつあります。

 経済の強固な相互依存関係は、それに相応(ふさわ)しい外交的枠組みを求めます。すでに米国の中国外交の主役はネオコン勢力ではなく、中国との融和グループに代わっています。また米国ビジネス界と中国共産党は、市場経済拡大の一点で共通の利益を共有しているばかりか、かつての米国大統領らホワイトハウスの元政府高官たちが両者の仲介すら行っているのです。

 米中関係は後退しない。そればかりか東アジアにおいては、朝鮮半島と台湾を米中両国で共同管理しようとする動きが表面化してきています。このままならババを引かされるのは間違いなく日本になるはずです。
「赤い貴族」と資本家たちは、日本抜きでハネムーンを始めようとしているのです。
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