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敵国になり得る国・米国
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政治・社会
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第三章 米中「接近」前夜の動き

『敵国になり得る国・米国』
[著]青木直人 [発行]PHP研究所


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 世界に存在する五大パワー


 中華人民共和国が誕生する前夜、当時の中国首脳の対米イメージは決して悪いものではありませんでした。米国は列強と違って中国を植民地にしていなかったからです。

 毛沢東はある米国人にこう話しています。
「中国は工業化しなければならない。中国においてはこれは自由な企業により、そして外国資本の援助を受けて、初めて可能である」
「中国と米国の利益は関連しあっているし、類似している。それらは商業的にも政治的にもよく合致している。我々は協力して努力しなければならない」(一九四四年)

 また周恩来は、毛沢東の将来の訪米についても語っています。
「毛は米国に行くでしょう。なぜならそこで中国にとって有益なことが学べると考えているからです」(一九四六年、米国軍事顧問ジョージ・マーシャルへの発言)

 それが朝鮮戦争でひっくり返ります。米国もまた、それまでの心情的な中国共産党への評価を一変させることになります。毛沢東の長男・岸英も中国の義勇軍の一員として参戦し、米軍のナパーム弾で焼け死にました。中国側の犠牲者は四〇万人といわれ、以後、毛沢東は米国と対立していたソ連側に全面的にシフトしていき、朝鮮戦争の教訓として、核の自力開発に成功するわけです。

 中国は、国連で侵略国だという認定をされ、米国の封じ込め政策が始まります。他方、中国は中国で、米国帝国主義は世界人民の敵であると、国際的な反米闘争を展開するようになります。

 それが一九六七年に、米国がベトナム戦争で行き詰まっていたころ、のちのニクソン大統領が、外交問題評議会という米国のエスタブリッシュメントの機関誌である『フォーリン・アフェアーズ』に、「アフター・ベトナム」という有名な論文を発表します。この中でニクソンは、次のような国際情勢の分析を行っています。

 ――世界は米国とソ連の二大大国とは別に、新たに第二次世界大戦により敗戦国となった日本と西ドイツが戦争の痛手から回復して、経済的に復興、新しい政治勢力として台頭を始めてきた。そしてまた、核をもつ中国が政治的大国として登場しつつある。

 すなわち、いまや世界には、米国、ソ連、日本、西ドイツ、そして中国という五大パワーが存在している――。


 ニクソンの論文を中国語で読んで非常に関心を持った周恩来が、コメントを毛沢東の元に上げ、一読を勧めます。

 当時、毛沢東は世界情勢、なかでも米ソ両大国の情勢をこう見ていました。

 ――米ソ両大国が対抗しているものの、米国の圧倒的な力は衰えている。ベトナムによって泥沼に引きずり込まれた米国は、もう軍事的勝利はできない。彼らはこの地から撤退したがっている。それは中国にとっても国防上プラスである。なぜなら南部の脅威がなくなるからだ。米国の行き詰まりは財政的側面からもいえる。大量の戦費を使い、財政赤字が急増したことで、戦後一貫して国際金融システムの柱であった基軸通貨のドルの信頼性が落ちてきた。これが米国の危機である――。


 その反面、ソ連からの脅威はますます本格化しつつありました。一九六〇年代に中ソが国際共産主義運動の総括をめぐって論争していたころはまだ言葉の上の対立にすぎなかったのですが、対決はさらに本格化し、当時のソ連のグロムイコ外相の回想録を見れば、北京を中心に対中核攻撃までが現実に検討されていたのです。

 また一九六九年三月には中ソ国境のウスリー川のダマンスキー島(珍宝島)で中ソ両軍の衝突が発生しています。

 こうした現実を前にして毛は、長く敵国であった米国の直接的な脅威は減少し、逆に同盟国だったソ連の現実的脅威が高まりつつあると結論したのです。こうしてソ連という最大の敵に対して、これに対抗する統一戦線の必要性が生まれました。


 毛沢東とニクソンの共通の認識


 ニクソンが世界の五大パワーについて言及したように、毛沢東もまた世界を五つの政治的勢力に分けていました。この事実は、彼と田中角栄の会見(一九七二年九月二十七日)の中で明らかにされています。いまに至るも関係者が決して公には認めていない会見の真相はこのようなものでした。

「田中先生、日本には四つの敵があります」

 毛沢東は右手の指を一本ずつ折り始めた。
「最初の敵はソ連です」

 親指が曲がった。
「二番目がアメリカです」

 人差し指がたたまれる。
「そしてEU(ヨーロッパ)です」

 中指を折りながら発言が続いた。
「最後が」といいつつ、毛の薬指が曲がった。
「それは中国です」

 毛の視線は四つの指を折り曲げた自分の右手に向けられたまま、田中らを見ようとはしなかった。(拙著『田中角栄と毛沢東』)


 つまり毛沢東は「日本には四つの敵があります」として、具体的にはソ連、米国、欧州、最後に中国であると田中角栄に告げているのです(欧州と西ドイツでは多少ニュアンスが違いますが)。

 いずれにしても世界には五つの勢力が地球上に存在している、という現状分析は、ニクソンら米国首脳の認識と重なります。

 若き日の毛沢東が書いた論文「中国社会各階層の分析」の中の言葉を引用するなら、「誰が我々の敵であり、誰が我々の友であるのか。この問題は革命の一番重要な問題」であり、「真の友と団結して、真の敵を攻撃すること」の必要性と緊急性が中国の側にも存在していたのです。

 それが米国との和解と日本との正常化だったのです。

 当初は、ベトナム戦争処理とソ連との対決という側面だけが話し合われたと思われていた米中会談は、世界の五大パワーの間の合従連衡(がっしょうれんこう)が、重大なテーマとして論じられていたのです。


 ロックフェラーが中国に抱いた野望


 米中接近にはこのような外交的な事情があったのですが、それ以外に、関係改善には経済的要因も存在していました。中でも米国経済界の一部は、共産主義体制下にあるばかりか、文化大革命中の鎖国体制にある九億(当時)の中国の門戸を開かせることに熱心でした。ニクソンの中国訪問はそのための政治的環境づくりという側面も色濃く存在したのです。

 象徴的なエピソードでは、世界的大富豪であるデイヴィッド・ロックフェラー三世(当時チェース・マンハッタン銀行〈現・JPモルガン・チェース〉社長)が、ニクソン訪中の一年後の一九七三年六月に中国を訪問して、周恩来や小平ら首脳陣と会見します。彼は中華人民共和国が誕生してから初めて中国を訪問したバンカーで、これがキッシンジャーの外交工作で実現したことを著書のなかで明らかにしています。

 帰国直後、ロックフェラー三世は、『ニューヨーク・タイムズ』(一九七三年八月十日付)に、訪問について次のような感想を述べています。
「人間は国民的団結を目のあたりにして感動するものだ。中国革命の代償が何であれ、それがより効率的で人民に奉仕する政府を作ったばかりか、高い士気と目的を持った共同体を育てるのに成功したことは明らかである」
「毛沢東主席の指導のもとで、中国が行った社会的実験は人類史上最も重大で、最も成功した例のひとつである。(中略)忘れてならないことは中国人は果敢で知的であるばかりでなく、大量の安い労働力をもっていることだ。これを武器に、彼らは貿易資金をたやすく手に入れることができる」

 社交辞令を別にすれば、ロックフェラーの本音は最後の一文にあります。つまり「中国人は……大量の安い労働力をもっている」と指摘している点です。
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