オランダの植民地時代
ニューヨークは、そのむかし、「ニュー・アムステルダム」と呼ばれていた。いまでもアムステルダム通りというのがある。これからもわかるように、この街は1610年から1664年まで、オランダの植民地であった。17世紀のオランダは、イギリスと並んで、世界のスーパー・パワーのひとつで、オランダ商船隊は世界中を駆けめぐっていたのである。日本の長崎にきたのも、そのひとつだ。
オランダの貿易会社は、あるとき、アジアへの最短ルートを探していた。で、イギリス人のヘンリー・ハドソンという人に依頼して、アジア・ルートを探ってくれということになった。ハドソンさんは、ヨーロッパの港を出て、西に向けて航海し、マンハッタン島にたどり着いたというわけである。ときは1609年である。彼の名前は、いまハドソン川という形で残っている。