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生き方・教養
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CHAPTER3 母が娘を苦しめてしまう理由

『私は私。母は母。』
[著]加藤伊都子 [発行]すばる舎


読了目安時間:1時間7分
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女性が社会から受ける「結婚」と「子産み」の圧力


 同じ女性でありながら、なぜ母は自分を理解してくれないのか、なぜ自分を傷つけるのか。このCHAPTERでは娘たちの疑問に答えるために、一人の女性としての母たちのストーリーを、CHAPTER12で紹介した娘たちに対応する形で紹介する。


 登場する母たちは、私が母娘関係の講座で、あるいはカウンセリングで出会った女性たちが語る母であり、さまざまな問題を抱えてカウンセリングルームを訪れる女性たちである。CHAPTER12で紹介した娘たち同様、よく見られる例を組み合わせた架空の人物である。


 母たちのストーリーを紹介する前に、まずは、なぜ母が娘を傷つけるようなことをしたり言ったりするのか、その理由を女性が社会から期待される役割という視点から説明する。社会が求める女性の役割を理解してからのほうが、母たちのストーリーをより深く理解できると考えるからである。

◆母親たちの口うるささの理由


 EPISODE6で紹介した美恵子さんが、口うるさい母和子さんに感じるようなうっとうしさを、自分の母親に感じている娘は少なくない。母親の言うことは矛盾だらけなのだが、娘にはその矛盾を指摘することができない。それどころか、矛盾に気づかない場合さえある。同様に、いやなことばかり言われてもそのことを指摘できない。当然ながら怒ることもできない。不愉快そうな顔をしてみせるのが精一杯である。


 EPISODE5で紹介した辛辣な母親に育てられた多喜子さんのように、「自分が悪い」と考えている娘もいる。不快を感じながら、母親の言葉の意味を汲み取ろうとする娘もいれば、どうやったら母親が自分がいやがることを言うのをやめてくれるだろうかと考える娘もいる。美恵子さんもそうだった。


 あまりのうるささに「わかってるよ」と言うと、「わかっているなら、わかっているようにしなさい」と、さらにうるさく言われる。「感じ悪いことばっかり言わないでよ」と言うと、そこにこそ親のありがたさがあるのだと言わんばかりの口調で、「親だから言うのよ。他人は言ってくれないでしょ」と言われる。この程度の抗議では、和子さんのような母はびくともしない。


 和子さんと同じような母を持ち、「親の忠告に反感を感じる私は性格が曲がっているのでしょうか」と相談してきた女性がいるが、母親の口うるささは娘の反感をかうだけでなく、娘を自己否定の檻に縛りつけもする。


 母親たちの口うるささの理由の一つに、彼女たちが世話役割を担ってきたこと、そのために自分を問う習慣を持てなかったことがあげられるが、それを理解するためには、女性が社会から何を期待されているかを知る必要がある。

◆社会が女性に期待する役割


 性別役割の代表とされる考え方に、「男は仕事、女は家庭」というものがある。男性に期待される役割は稼ぐことであり、女性に期待される役割は家庭に入り家庭の運営に専念することとする考え方である。


 この場合に使われる役割という言葉は、一定の社会的な地位あるいは立場に結びついた行動への社会的な期待を指している。この立場にある人ならこう振る舞うべきだという社会的な合意のようなものであり、その人自身がこういう役割を果たしたいと考える主観的な役割とは異なる。


 また役割期待とは、その人と関わりのある人がその人に抱く期待や信念であり、その人の果たすべき権利や義務が含まれている。夫ならこうするべき、妻ならこうするべきというようなものと考えたらわかりやすいかもしれない。


 社会が女性に期待している最も重要な役割は「母になること」つまり子どもを産むことである。そしてそのためには誰かの妻になることが期待されている。

「早くかわいい赤ちゃんの顔を見せてください」という言葉が結婚式でのスピーチで語られるように、「結婚」と「子産み」とはセットになっている。結婚せずに子どもを産むことに対して、私たちの社会は非寛容であるために、妊娠をきっかけに結婚を決断するカップルも少なくない。

「結婚」と「子産み」のセットには、さらに「幸せ」のイメージが付け加えられる。結婚は恋の成就であり、愛に満ちた幸せな生活の始まりであるとして、結婚をめぐる消費には幸せのイメージが散りばめられる。そしてそれらがマスメディア等の媒体を通じて女性たちのもとに届けられる。芸能人の結婚式は大々的に報道され、今では少数派になりつつある夫婦と子ども二人という家族が、商品のポップでもコマーシャルでも、モデルとして使われる。

「家族」とか「家庭」という言葉がどれほど氾濫しているかは、敏感な人でないと気づかないのだが、結婚できない女性や子どもを産めない女性たちは、こうした社会のありように苦しめられる。


 結婚に関する意識調査で「結婚したいとは思わない」「適当な人にめぐりあわなければ必ずしも結婚しなくてもいい」と考える人が少しずつ増えてはいるが、役割期待に基づく「結婚圧力」や「子産みの圧力」は、今もなお強い力を持っている。


 そのため、娘に「人並み」であってほしいと願う母親が、最大の「結婚圧力」「子産みの圧力」となる場合すらある。「結婚したくない」娘にとっても、「結婚したいけれど、なかなかその機会にめぐりあえない」娘にとっても、母親からかけられる圧力は重苦しく、その圧力から逃がれるために結婚したという女性も少なくない。

◆子育て中の母親が強いられる「自分のため」がない生活


 私たちの社会における「結婚圧力」「子産みの圧力」について述べてきたが、子産みの後には当然ながら「子育て」がある。私たちの社会では「子育て」の責任は母親にあるとされている。


 その「子育て」がどういう業かというと、もし自分一人で子どもの成長に必要なことを全て担おうとしたら、とても果たせないほどの仕事である。そのために夫が稼ぎ、妻が具体的な世話をするという役割分担が行われているとも言えるが、夫が稼いできさえすれば妻一人だけでも子育ては可能かというと、これもまたとても困難なことと言わざるを得ない。実家の母親に手伝ってもらったり、ときに夫に頼んだりしながらではあっても、多くの若い母親たちがこの役割を一人でこなしている。


 この場合、母親である女性は自分のことは何もできない。それどころかゆっくりと食事をとることも風呂に入ることもトイレに入ることもできない。


 子育て講座で若い母親たちに「何をしたいか」と問うと、「落ち着いて食事をしたい」「途中で起きないで朝まで寝たい」「邪魔をされずにドラマをみたい」などという答えが返ってくる。そういうこともできないのが子育て中の母親である。夫が休日出勤をせざるを得ない状況にあったため「子育て中は歯医者にも美容院にも行けなかった」という女性がいるが、「自分のため」がない暮らしをせざるを得ないのが、子育て中の女性である。

女性が幼少期から受ける他者優先トレーニング


 傍若無人で待ったなしの子どもの世話を優先して「自分のため」がない生活。子どもが泣いたら、騒いだら、転んだら、何を置いてもとんでいく生活。こうした生活を可能にしているのは、自分のことを二の次、三の次とする行動様式である。


 フェミニストカウンセリングでは、能力と呼んでもいいようなこの行動様式を「他者優先」と呼んでいる。この行動は母親になれば誰でもが自然にできるというものではない。女性たちは子どものときから、こうした行動が自然にとれるようにとトレーニングされているのである。


 トレーニングの一つがお手伝いである。テレビを見ていても、勉強をしていても、「ちょっと」と呼ばれ家事を手伝わされる。自分だけが手伝わされ、兄や弟には手伝いが要求されなかったという女性は珍しくない。こうしたことは家庭だけで行われるのではない。学校でも職場でも行われ、他者のニーズのために自分のニーズを中断させることを女性たちは学んでいく。同様に、誰かのニーズと自分のニーズとが拮抗するとき、女性は我慢をする側に位置づけられる。そして他者のニーズを優先して自分の欲求を抑えることを学んでいく。

「兄が私学に進学し下宿をしていたので、私は地元の公立以外はダメだと言われた」「休みのときに弟の行きたいところと私が行きたいところが違うと、いつも私が我慢させられた」「兄が受験のときは私までテレビを我慢させられたのに、私が受験のときは兄はテレビを見放題だった」などという体験がグループで語られる。


 他者を思いやれること、他者のニーズを読み取れること、他者のニーズを満たすために行動できることが、女性として好ましい資質とされ、こうしたトレーニングが行われる。拒否すると「わがまま」「自分勝手」「優しくない」という非難が返ってくる。この非難もまたトレーニングの一環である。

◆結婚にも他者優先が必須


 この他者優先の姿勢は、子どもを育てるために必要なだけではない。子どもを産むためにも、つまり結婚をするためにも必要な資質である。


 女性が結婚するためには、誰かにプロポーズをしてもらわなければならない。実際には自分から結婚してくれという女性もいるが、幸せな結婚のイメージには意中の人からのプロポーズが必須である。近年ではどれだけ「サプライズなプロポーズ」がされたかが取りざたされ、それもまた「幸せ」に必要な道具立てとなっている。


 意中の人からプロポーズされるというのは、そんなに簡単なことではない。相手に「この人と結婚したい」と思わせなければならないからである。

「この人と結婚したい」と思いながら、自分ではなく相手にそれを表明させるためには、まず自分自身が相手の好みのタイプにならなければならない。


 気が合うと思う相手でも異なるところがあるものだが、「この女性とは合わない」と思われると、結婚に持ち込むことができなくなる。そのために決定的な対立は避ける。心の中で「いやだな」と思っても言わずに済ませる。相手が「こうしてくれ」と言ってきたら、少々意に沿わなくても相手に合わせる。


 男性の友人には正直な自分を出せるが、好きな人には出せないという女性は珍しくない。欲求をありのままに口に出すことは「女らしくない」行為であり、相手がそれをどう感じるかわからない。嫌われたくない、図々しい女だと思われたくない、かわいいと思われたい等々の思いが女性の行動を不自由にする。


 正直な自分のままでプロポーズされたという人もいるが、小さな考えの違いなどあえて口に出さずに済ませていることもあるのではないだろうか。


 恋愛結婚がほとんどの現在、まだ見ぬ人に「結婚したい」と思わせるためには、まず、「この女性とつきあいたい」と思わせなければならない。そのためには男性から見て魅力的な女性に自分を形作らなければならない。


 男性がつきあいたいと思うような魅力的な女性とはどのような女性なのか。少女たちは雑誌で、漫画で、恋愛映画でそれを学んでいく。このとき、彼女たちが惹きつけたい対象は、結婚の対象となりうる男性全員の中の誰かであり、具体的な誰かではない。


 結婚に関する意識調査では、女性は結婚対象に経済力を期待し、男性は結婚対象の容姿容貌に重きを置いている。理想の男性に出会い、つきあい、結婚できるように、より多くの男性に好まれるようにと少女たちは自分を形作っていく。女性が自分の容姿容貌を磨くのは、結婚という目標を考えると合理的な行動と言える。

「結婚」と「子産み」が「幸せ」とセットになっている現在、幸せになるためには、結婚が必須であり、そのためには恋愛が必須であり、そのためには男性の関心をかうことが必須である。若い女性たちがこう考えて自分磨きをしているとも思えないが、深層にはそうした欲望がある。


 心理学者の小倉千加子さんによると「結婚したい女性」のタイプの3Kは「かわいい」「軽い」「家庭的」だそうである。近年ではそれに経済力のKが加わり4Kになっているとのことだが、自分磨きをして「つきあいたい女性」になったとしても、さらに「結婚したい女性」になれなければ意味がない。つきあいたい女性と思われるためには容姿容貌が重要であり、結婚したいと思われる女性になるには、さらに4Kを満たす必要がある。
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