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(2021/11/26 追記)

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骨抜きにされた日本人
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政治・社会
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はじめに

『骨抜きにされた日本人』
[著]岡本幸治 [発行]PHP研究所


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 わが国では、新たな年は新たな希望と展望で始まるのを習わしとする。旧年の苦労、不安、不満、そしてもろもろの煩悩を百八の除夜の鐘とともに送り出して、新たな年を、新たな期待と新たな精神とで迎える。

 平成十三年、わが国は新たな世紀、二十一世紀を迎えた。顧みると二十世紀の後半、敗戦の惨禍から不死鳥のように立ち上がり、経済大国となった日本は、一九八〇年代の後半には、アメリカの製造業を衰退させ、一人あたり所得でアメリカをも上回り、世界最大の債権国の地位を奪い取り、「二十一世紀は日本の世紀」という楽観的な予測が、国内だけでなく、国外においても口にされるようになった。

 しかし、それから程なく、経済のバブルははじけ、金融と情報の世界において優位に立ったアメリカが世界経済の主導権を握り、グローバリゼーションという名で、アメリカ型経済の世界標準化が進んだ。冷戦構造の檻のなかでひたすらを求めて動き回った(経済至上主義の)日本は、過去の成功体験とその間に構築された諸制度がかえってしがらみとなり、政治指導力の衰退によって果断・機敏な改革に踏み切れぬまま、「失った十年」(これは不作為による人災であり「失われた十年」という天災に遭ったかのような受け身の表現は用いない)に低迷することになった。

 二十一世紀の幕はすでに上がったのに、新世紀にふさわしい希望と期待に胸膨らませて、国家百年の大計に取り組もうという気配はほとんど感じられない。世紀末の「失った十年」はそのまま延長戦に入り、新世紀に入ってから、経済的展望はかえって陰鬱なものとなっている。経済だけではない。かつて日本が誇りとした初中等教育や治安の良さにも諸問題が噴出し、国民心理全般に、暗い影を投げかけている。

 いったい日本はどこに行こうとしているのか。二十世紀において数々の困難に直面しながらも、奮進努力して上昇基調を歩みつづけた「日出づる国」は、新世紀に至ってついに「日の沈む国」への道を転がりはじめるのであろうか。

 いや、そうあってほしくない。このような閉塞状況から脱出したい、という多くの国民の期待を担って、平成十三年、「聖域なき構造改革」の新題目を唱える「変人首相」が誕生した。小泉首相は、万年与党が経済成長期に念入りにつくりあげた既得権や利権構造を自ら破壊しようとしている「変人」である。しかし、従来型の「常人」首相では時代の変化に対処できないことが、世紀末の低迷経験から明らかになったいま、「立正安国」を唱える「変人」僧侶の〈南無妙法華経〉に鎌倉人が救いを求めたように、「変人」首相の新題目である〈南無構造改革経〉の御利益に、さしあたり望みを託していくほかはないと多くの国民は考えているように見える。

「構造改革」を断行しなければ、制度疲労に立ち至ったこの国を安心して住める国にすることはできない。「変人」首相のこの考えは基本的には誤っていない。私の見るところ、小泉首相の「聖域なき構造改革」は大きく二つに分けられる。第一は目に見える政治・経済制度の改革であり、第二は必ずしも目には見えないが、より根本的で、長期的観点に立てば決定的に重要な精神・魂の改革である。問題は、小泉内閣の「構造改革」が、第一の、経済的な、目に見える分野に偏っていないかという点である。人間が肉体をもつ生き物であるかぎり、肉体の維持に欠くことのできない経済活動は大切である。しかし、たとえば、経済の再建が成れば、教育はおのずからよくなると期待できるであろうか?

 健全なる魂は、健全なる肉体に支えられることが多い。しかしながら、逆は必ずしも真ならず。肉体(経済)が健全であれば、魂(教育)はおのずから健全になる、とはいえない。もしそうであれば、宗教人はまずラジオ体操にでも励んだほうがよいということになる。弱い肉体をもった知識人は、かつて毛沢東が試みたように、強制労働に下放するのが効果的ということになるだろう。

 私は若いころに、よく一人で山歩きに出かけたことがある。山中で道に迷い、ひたすら活路を求めて前進したが霧に包まれてあわや遭難というところを、幸運にもベテランの山登りに救われた。そのとき彼が教えてくれたことがある。難路で霧に囲まれ道に迷ったときは、時間の無駄のようだが、もと来た道を引き返せ。いったん出発点に立ち戻り、進むべき方向(地図)をしっかり把握してから前進せよ、と。

 この教えは、霧が深く立ちこめて道に迷い、肉体の疲労(経済不振)に加えて精神的な閉塞状況(自信喪失)に陥っているわが国の将来を考えるうえで、適切な示唆を含んでいるように思われる。小泉首相は第二の「精神的構造改革」にも積極的に取り組む大きな器量をもった人物と期待されて登場したが、八月十五日の靖国参拝を中韓の執拗な外圧に屈して日程変更して以降の言動を見ると、歴史認識においても社会党村山首相の「謝罪談話」を一歩も出ていないなど、「精神の改革」に何が必要かという根本認識において、近年大量生産され大量消費された小粒首相と何の変わりもないように見える。これでは「変人」首相の存在意味がない。

 本書は、二十一世紀の日本のあるべき目標に向かって前進する前に、まず出発点に立ち戻って、「戦後日本」の基本構造を確認するとともに、占領下で活躍した知識人と、その言語空間を規定していた検閲の実際について批判的に検討したものである。私の既刊著作のなかでは、『凸型西洋文化の死角――世紀末はなぜ危機なのか』(柏樹社、再版いぶき書房)、『脱戦後の条件――凸型文明から凹型文明へ』(日本教文社)などと問題意識を共有している。
「戦後日本」の出発点で頑丈な枠組みをつくったのは、アメリカの占領政策であったが、ここでは日本のメディアに加えられた検閲の実際に、とくに注意を払っている。小泉首相は歴史が好きと聞くが、せめて自国の現代史についてこのような事実のあったことを理解したうえで外交に臨んでもらいたい。歴史認識問題は日本の「精神的構造改革」と密接不可分の課題である。


 バブル経済がはじけた前後に、経済だけでなく、政治の構造改革をやらないと駄目だという危機感が高まったことがある。これが結局、自民党一党優越体制を切り崩し、連立政権時代の幕を開いたのであるが、問題は、構造改革すべき原点、出発点の把握が間違っていたことだ。

 いわゆる「五五年体制」に諸悪の根元を見出し、これに手を加えて万年与党の権力を失わせることによって、日本政治の再生がなるとした点に不徹底さがあった。その後日本政治がいっこうによくならず、世紀末の病理から抜け出せなかったのは、肝心の基本的診断に誤りがあったからである。「五五年体制」ではなく、そのルーツである「四五年体制」とその精神構造の抱える問題を正確に把握し、克服しないかぎり、たとえ経済の暗い霧は晴れあがったとしても、魂の日本晴れはやってこないし、真の日本の再生はありえないだろう。

 本書はもと「日本国憲法改造案原理要綱」という表題のもとに、同人誌『史』に連載していた原稿からなっている。出版に際しては、PHP研究所学芸出版部野隆雄氏、櫻井済徳氏にお世話になった。川上達史氏には章の組み替えから表記の問題に至るまで綿密な指摘をいただいた。厚く御礼を申しあげたい。


  二十一世紀元年霜月  京都洛北にて
岡本 幸治 
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