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荒野(あらの)の宗教・緑(みどり)の宗教
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生き方・教養
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1 報復という名の原理

『荒野(あらの)の宗教・緑(みどり)の宗教』
[著]久保田展弘 [発行]PHP研究所


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アメリカによる報復の思想はどこに由来するのか


 二十一世紀最初の年の九月十一日。アメリカで起こった同時多発テロ事件直後の、ブッシュ大統領による「これは世界への挑戦である。戦争だ」という声明は、ほとんどリアルタイムで世界中に流された。以来、アメリカ・イギリス軍を主力とするアフガニスタンへの攻撃は「テロリストおよびテロリストと疑わしき人間にたいする報復」という、復讐の原理一色にぬりつぶされてきた。

 最新兵器による爆撃は、多くの一般市民の犠牲者を生み、アフガニスタン国内における悲劇の詳細はほとんど明らかにされないまま、アメリカによる中東をはじめ、アフリカ、アジア各地の紛争地への攻撃が報じられてきた。そして二〇〇三年の三月、圧倒的な軍事力を誇る米英軍主体によるイラクへの攻撃がはじまった。

 すでにさまざまの論評がなされているが、報復という原理によって、なぜ戦争が肯定されるのかという、その本質についてはまだ問われてはいない。

 あらためて述べるまでもなく、戦争と名がつく闘いにおいて、一〇〇〇人のうち二〇人だけを殺戮(さつりく)しようというくわだては絶対に成功しない。ましてや報復戦争の名で為されるその行動において、報復すべき対象の人間に目印でもあるならばともかく、遠隔制御(リモートコントロール)による最新兵器をもちいてのアフガニスタン爆撃によって、タリバーンと一般市民とを区別することが不可能なことは、アメリカは攻撃を決断する以前からわかっていたはずだ。

 むろん、テロリズムは国際的な犯罪であり、犯罪は犯罪として厳しく裁かれなくてはならない。また、ひとりの人間の意思だけが一〇〇〇万人、二〇〇〇万人の国民を左右し、支配する独裁政治が肯定される理由はどこにもない。このことを確認しつつ私はここで、アメリカによる報復という思想がどこにはじまり、いかに根深いものであるかを探ってみたい。さらにその上で、この思想が“グローバリズム”といかに乖離(かいり)したものであるかについて考えたい。

イスラエルを「神の国」と受けとめるアメリカ人の宗教意識


 早くから宗教の多様なことで知られ、移民の数だけ宗教があるとさえいわれてきたアメリカだが、なかで圧倒的多数の六割にのぼる宗教人口を占めるのがプロテスタント・キリスト教である。総人口二億五〇〇〇万人余のうち、一億四〇〇〇万人強を占めると思われるのが、プロテスタントということになる。

 知られているように、アメリカではその人がどんな信仰をもっているのか、宗教セクトに属しているのかについての調査ができないことから、宗教人口の詳細については明らかではない。

 ちなみにカトリック教徒は総人口の約二四パーセントを占めると考えられ、およそ六〇〇〇万人と推定されている。そしてアメリカ政界におけるロビー活動で話題にのぼることの多いユダヤ系アメリカ人が、およそ六〇〇万人にのぼる。もちろん、このほかにイスラームをはじめ、多くの宗教・宗派による活動があることはいうまでもない。

 パレスティナ問題をはじめ、イラク戦争をもふくめ、唯一神教世界が報復戦争に踏みこむにいたるプロセスにおいて、アメリカの宗教人口の比率がもつ意味は、けっして無視できるものではない。

 アメリカという国家の意思決定、国家戦略の背後にあって、圧倒的多数を占めるプロテスタント、つまりWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の存在と、ユダヤ系アメリカ人の影響力は、むしろ絶大というべきだろう。

 過去から現在におよんで、アメリカが世界にたいして示すあらゆる行動の背後に、このWASPと、広範な経済活動を背景にもち、政界ロビイストを擁するユダヤ人社会のあること、いやそれよりなにより、イスラエルを神の国として、その行動を強く支持するアメリカ人の多数を占める宗教意識のあることは、けっして見すごすことはできないだろう。

 ローマ・カトリックと異り、多くの独立の分派集団のあることに特徴があるプロテスタントだが、宗教的には「信仰のみによる救い」が説かれ、聖書だけを規範的権威と認める「聖書原理」さらに「万人祭司主義」が強調されてきた。

 イスラエルを聖地エルサレムによって象徴し、神の国と受けとめる多くのプロテスタント。その彼らのイスラエルへの思い入れはいま、たとえようもなく熱い。

 そしてWASPのなかのWASPといわれる宗教グループが、実生活を重視し、政治的関心が強いといわれる「自由主義派」である。歴代のアメリカ大統領のほとんどはこの派から選出されている。現在のブッシュ大統領は、その主流とされる聖公会(エピスコパル)に属している。

殺戮が神の名のもとに許される


 聖書原理に特徴があるプロテスタント・キリスト教。当然ここでは新約聖書(以下『新約』)の福音書が重視されるが、その宗教的活動において、旧約聖書(以下『旧訳』)の原理が重んじられることはいうまでもない。

 とりわけユダヤ教が根本聖典とする『トーラー』を構成している『旧約』の最初の五章、すなわち「創世記」「(しゆつ)エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」はとくに重視されるだろう。

 イスラエルの民族意識と分かちがたく、その宗教的骨格が超越的な歴史物語としてストーリー化された「出エジプト記」は、荒野(あらの)の象徴ともいえるシナイ山において、モーセが神から「十戒」を授かった一章(第二〇章)のあることで知られている。
「十戒」には「殺してはならない」という一項とともに、偶像の造形と崇拝を厳しく禁じた一項があり、そこには「あなたの神、(しゆ)であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし……」と神の言葉がつづく。

 字義通りに解釈すれば、人が神にそむくならば、ねたむ神として、その当人は無論のこと、何代にもわたって報復のあることが告げられている、と読めるだろう。

 事実「出エジプト記」の〈第三二章〉には、神から授かった十戒を、神みずからの文字で彫った二枚の石板をもってシナイ山を下りてきたモーセが、彼のいない間に金を融かして子牛をつくり、踊り歌うイスラエルの民を目のあたりにしたことから、彼の怒りが爆発するくだりが凄まじい筆致で描かれている。ここでモーセの怒りは神の怒りに等しいだろう。

 イスラエルの民が偶像をつくり、いけにえを捧げ、踊り歌い、偶像にひれ伏すという、自分たちの思いのままにふるまうさまを目撃したモーセは、十戒の刻まれた二枚の石板を山の麓で砕き、イスラエルの民がつくった子牛をとって火に焼き、こなごなに砕き、これを水の上にまいて、イスラエルの人々に飲ませた、とある。さらにモーセは、イスラエルの神の言葉として「あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ」と告げる。

 この日「民のうち三千人が倒れた」とある。つまり偶像をつくり、偶像にひれ伏し、つかえてはならないという、神の戒めを破った民三〇〇〇人が神の報復を受けたのだ。同朋によって虐殺されたのである。

 十戒にふくまれる「あなたは殺してはならない」という戒めと、民族が同じ民族にたいし行う三〇〇〇人もの殺戮とは、どう折り合いがつくのだろうか。


 いや、この一章だけではない。『旧約』の「ヨシュア記」には、長い流浪の果てにいよいよ神による約束の地へ突入した、ヨシュア率いるイスラエルの民が、エリコ(ジェリコ)の町を攻め「町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした」(第七章二一)の一節にあるように、凄まじい殺戮のさまが記されている。これは、すでにカナンの地に定住し生活する民族にたいする、ユダヤ民族によるホロコースト(大量虐殺)であろう。

 ここでは、『旧約』の記述が歴史的事実であるか否かを問う以前に、神の名のもとに殺戮が積極的に許されるという示唆に注目すべきだろう。

戦争を肯定するモーセという政府


 さらにここで私たちは、“神”という呼称に、一方的な愛の存在などという幻想を抱いてはならないことを知るべきだろう。「殺してはならない」という戒めと、神の命令による三〇〇〇人の殺戮との、いわば整合性はどのようにしてありうるのか。「出エジプト記」にかぎらない、私は『旧約』を行きつもどりつして、神が人をして、そのように仕向ける意味を考えていた。
「あなたは殺してはならない」の戒めを無視してなお、モーセが民に命じた殺戮。ここにはGovernment(政府・統治)としてのモーセが存在し、エジプトからの大脱出(エクソダス)を率いる政府を体現したモーセの前に、唯一神崇拝を乱す行動は、国家(民族)防衛のために許されなかったという現実があった。「殺してはならない」の戒めは、民族統率という国家戦略の前にはなんの意味ももたないのである。

 同朋による同朋にたいする大量殺人は、政府としての審判(Judgment)であり、それは神による審判でもあったのである。もしこうした解釈をもとに『旧約』を読みすすめるならば、そこに記される無数の殺戮(テロリズム)と悲劇がもつ意味を、唯一絶対の創造神という、神の認識の範囲において明快に理解することができるだろう。

 そして恐るべきことだが、一神教が関わる歴史上の多くの紛争、戦争が、この報復の原理によって読み解くことができるのである。モーセはいつの時代にもいたのだ。いや、聖典の原理をこのように受けとめてゆくことが、国家戦略を構築する力となるとき、つねにモーセは必要とされるのだ。
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