閉塞した世界では聖戦が希望への道に映ってしまう
米英軍主体の、イラクへの連日にわたる空爆にはじまった〈イラク戦争〉は、二〇〇四年七月現在においてさえ「いったい、なんのための戦争なのか」という疑問を解けないままでいる。
イラクへの攻撃がはじまる前から、戦争行為への批判は厳しく問われていた。しかしいま「なんのための戦争なのか」という問いは、駐留軍、現地イラク人、双方の兵士、報道関係者を含む、その実数さえ明らかではない多くの死者の前に、あまりに残酷にすぎる。いやそれとも、二〇〇一年九月十一日のアメリカにおける同時多発テロ事件以来、世界中に高まっているイスラーム過激派にたいする警戒心、そしてテロリズムへの恐怖が、戦争行為にたいする疑問の解けないことを、黙認しているとでもいうのだろうか。