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人間について
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生き方・教養
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訳者まえがき

『人間について』
[著]ヴェルナー・ゾンバルト [訳]金森誠也 [発行]PHP研究所


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 本書はヴェルナー・ゾンバルト(一八六三─一九四一)著『人間について』Vom Menschen(一九三八)のうち、その第三部の主要部分を訳出したものである。

 本書はその再版(一九五六)から訳出した。出版社はベルリンのDuncker & Humblotである。

 本書は原書で四五〇(ページ)の大作であるが、今回翻訳したのは第三部の「人間の生成」と題する個所の主要部分である。それはこの部分が人口論、民族論、それに環境論という、まさに現代的問題を扱った部分であったからである。

 たしかに第三部は全体の三分の一を占めるにすぎない。しかし訳出した部分は、かつては『近代資本主義』という大著をあらわした碩学(せきがく)のゾンバルトが、これらのいわば人類にとって焦眉(しようび)の急の諸問題にいかに取り組んだかを知る手がかりとなることからしても、現代的意義があり、かつ興味深いものがあると信じている。

 はじめにゾンバルトの生涯と思想、とくに晩年の彼の生き方について述べ、ついで本書に取り上げられた彼の見解を紹介しようと思う。


マルキストと誤解され、批判を浴びた

 ゾンバルトは一八六三年、ドイツ・ハルツ地方のエルムスレーベンに生まれた。

 同地はかつて「東ドイツ」に属していたことになるが、付近にライプツィヒやハレのような大都市もあり、さらに美しい農村地帯に囲まれた、現在ザクセンと呼ばれている地方にある小都市である。

 父、アントン・L・ゾンバルトは農場主であったが政治的関心も高く、一八七一年に成立したドイツ帝国の帝国議会議員となった。彼は農業に関しては造詣が深く、かのビスマルクから農林大臣にならぬかと誘われ、断ったというエピソードもあったほどだ。

 息子のヴェルナー・ゾンバルトは、ベルリンのギムナジウムを終え、ベルリン大学に進み、卒業後イタリアのピサやローマの大学に遊学した。彼はベルリン大学ではアドルフ・ヴァーグナーに師事したが、卒業後三年たった一八八六年、イタリアの農村問題を扱った『ローマの平原』をドイツ歴史学派の有名な学者、グスタフ・シュモラーに提出し、博士号を取得した。同書は一八〇頁の短いものだが、ゾンバルトは古典的知識が豊富であり、しかも当時のイタリアの貧しい農民の生活を如実に描いたために、学問的にも高く評価された。


 彼はその後シュレージエンのブレスラウ(現在のポーランド領、ヴロツワフ)にある商工会議所で法律顧問をしたり、同地の大学で員外教授をつとめたりしたが、なかなか有名大学の教職にはありつけなかった。それというのも、彼がその頃ドイツでは危険思想と目されたマルクス主義者の一員とみなされていたからである。

 しかしそれは正しい見方ではなかった。たしかに彼は『社会主義と社会運動』(一八九六)などの著作でマルキシズムを擁護した向きもあったが、実は彼はむしろマルキシズムを改良した修正主義の立場をとっていた。さらに彼は経済という下部構造が思想や政治などの上部構造を規定するというマルキシズムとはまったく逆に、資本主義の精神という上部構造が下部構造である経済組織を規定することを力説した。

 しかし世間はそうは見なかった。いやしくも大学教授たる者が講壇からマルキシズムを説くとは何事だと、保守的な人々から批判が強かった。とりわけゾンバルトにとって一八九八年、マックス・ヴェーバーが神経疾患を理由に辞めたハイデルベルク大学に就職できなかったことは残念であったろう。実はマックス・ヴェーバーは自分の後任としてゾンバルトを推薦していたのだが、大学当局からは彼はマルキストだとして認められなかったのだ。もし実現していれば、後述するように学問的にするどく対立するに至った両者が、同じ大学で相次いで教授となるという奇妙な状況になっていたであろう。

 それでも一九〇六年、ゾンバルトはようやくベルリン商科大学の教授に、そして一九一七年、フィヒテやヘーゲルがかつて教授であったことでも有名な、待望のベルリン大学教授に就任した。その後、彼は一九三一年に再びベルリン商科大学にもどった。本書『人間について』もその頃の著述である。そして彼は日米開戦の年、つまり一九四一年に死去したのである。


資本主義は何によって発展したか?

 ゾンバルトの主著は『近代資本主義』である。初版は一九〇二年だが、一九一六年に再版が出たときはかなり増補改訂された。さらに一九二九年に『高度資本主義』が出版され、彼の資本主義についての歴史研究はこれで一応完結した。

 ゾンバルトは『近代資本主義』の中で、まずは歴史現象を個性的に把握する理論と、資本主義という複雑な経済的、政治的、文化的組織の全体を解明できる理論との統合をはかった。

 彼は、「資本主義は流通経済組織であって、そこでは二つの別々の人口集団、つまり『経済主体としての指導権をもつ生産手段の所有者』と『経済客体としての賃金労働者』が市場を介して結びつき、ともに働くことになるのだが、実情は営利主義と経済的合理主義が支配している経済体制にほかならない」と規定した。そして彼は、資本主義経済をあらゆる面から考察したが、どうやら生産手段の所有者のほうが賃金労働者のそれよりも具体的かつ精密に描かれているようだ。

 ゾンバルトのこの主著は戦前、岡崎次郎、梶山力、両氏によってその一部が邦訳出版されたが、戦後は出版されていない。しかし戦後邦訳されたものがいくつかある(かっこ内の年号は原書の出版年である)。たとえば『ユダヤ人と経済生活』(一九一一、荒地出版)、『戦争と資本主義』(一九一三、講談社)、『恋愛と贅沢と資本主義』(一九一二、講談社)、『ブルジョワ』(一九一三、中央公論社)などである。そのうち『ユダヤ人と経済生活』は私と安藤勉氏との共訳だが、あとはすべて私が一人で訳出したものである。ほかにもいくつかのゾンバルトの著作が戦前と戦後に邦訳出版されたと聞いている。


 ところで彼の主著や近代経済人の精神史を扱った『ブルジョワ』にしたがい、彼が資本主義をどう見たかについて述べてみよう。

 近代のヨーロッパでは中世のしがらみを脱した冒険心あふれる企業家、投機業者、大航海者などは一攫千金(いつかくせんきん)を夢みつつ、まさにファウスト的衝動にかられて資本主義体制の確立に一役買ったとゾンバルトは力説する。

 他方、広い市民層の中からは、こうした冒険家とはまさに正反対に、まともで着実な方法で富を得ようという努力が生まれた。とくに家政をきちんと整え、ともすれば支出が過大になる放漫な経済を、収入本位の実りある経済に建てなおそうとする健全な態度がそれである。ゾンバルトはその代表者として、古くはアルベルティ(イタリアの建築師、思想家、一四〇四─七二)、新しくはフランクリン(一七〇九─九〇、アメリカの政治家、科学者)がいると述べた。


 こうした市民精神もゾンバルトは尊重したものの、マックス・ヴェーバーとは理論的に対立した。ヴェーバーは一九〇五年、『プロテスタンティズムと資本主義の精神』を発表し、その中で資本主義の発展が、とくにピューリタンの倫理的精神との関連が深いことを力説した。さらにゾンバルトのいうような冒険的企業家や王侯の贅沢が資本主義を発展させたなどという事実はないと述べた。

 これに対しゾンバルトは、ヴェーバーが礼讃した初期のプロテスタントの生活態度はあまりにも禁欲的であり、教会への奉仕にあけくれたため日常の経済活動がおろそかになり資本主義の発展を阻害した、とした。もっとも同じプロテスタントでもユグノー教徒のようにヨーロッパを追い出され新大陸に移住した者たちは、束縛(そくばく)から解放され自由に経済発展をとげたことをゾンバルトは認めている。さらに彼は、キリスト教のもろもろのおきてに縛られず、十分に金融活動に取り組むことができたユダヤ人は、王侯貴族や富者を側面援助して近代経済の発展に寄与したと述べている。


「性愛が資本主義社会を促進させた」という見解

 ところでゾンバルトは、冒険的企業家の要素と堅実な市民的要素の合体によって近代資本主義は発展したが、やはり後者が前者を圧倒し、吸収したと考えていた。これはニーチェの説く「君主の道徳」、つまり強者である冒険的企業家の道徳がやはりニーチェがいう「キリスト教的な弱者の道徳」、つまり市民的企業家の道徳によって打ち負かされたという状況と似ていないこともない。ともあれゾンバルトによれば、資本主義は中世から第一次大戦に至るまで、「初期」「近代」「高度」の三段階を経て発展してきたが、その後発展の歩みが乱れた。それが現代の「後期資本主義」である。これがあたかも盲目の巨人の歩みのように乱れ、経済的弾力性を失ってしまったというのだ。


 一方、主著の『近代資本主義』同様に注目されたのが、第一次大戦の寸前に出た『恋愛と贅沢と資本主義』である。ゾンバルトは王侯貴族やそれを見倣(みなら)う市民社会の成金たちの贅沢こそが資本主義社会を促進する一大要素であると断定した。しかも奢侈(しやし)は男女の恋愛を促す贅沢な商品の生産によって生じたと見た。

 その際重要な役割を占めたのは高級娼婦で、彼女たちはフランスのアヴィニヨンに一時おかれたローマ教皇宮廷を出発点に、イタリア、イギリス、フランスの宮廷に入りこんだ。さらに彼女たちは、当時金もうけした大市民たちの愛妾(あいしよう)にもなった。太陽王といわれたフランスのルイ十四世は愛妾のラ・ヴァリエールのためにヴェルサイユ宮殿を建てたが、それやこれやで国家財政全体の三分の一を消費した。またその頃から興隆した市民階級の女好きも王侯貴族にひけをとらなかった。彼らの情事の場としてパリ、ロンドンなどの大都市には劇場、ミュージックホール、高級ホテルやレストランが林立した。また女性の奢侈の源泉ともいえる絹織物、レース、鏡、帽子など数多くの製造業が発展した。


 ゾンバルトの『近代資本主義』や関連する著作は大きな反響を呼び、大企業家などからは賛成の声もあがったが、反論も多く出された。とりわけ冒険主義的企業精神や奢侈を資本主義発展の原動力の一つと見るゾンバルトの考えは、禁欲主義的なピューリタンこそ資本主義発展のよすがとなったとするヴェーバー一派からはげしく攻撃された。かつてゾンバルトの恩師であったグスタフ・シュモラーも、ゾンバルトが同じ奢侈でも性愛が経済の原動力の一つと見る見解を「繊細で審美的な快楽主義、唯物主義」と断じた。

 またマルクス主義陣営はゾンバルトを教祖マルクスを裏切った者として総攻撃をかけた。たとえばローザ・ルクセンブルクは、彼の見解は組織化された労働運動の弱体化を狙うブルジョワの利益の巧みな表現であるとし、さらに彼を帝国主義者であると警告した。

 日本でもゾンバルトは一時人気があったが、やがてヴェーバー派やマルクス主義者から一斉に攻撃を受けた。


自由主義から保護貿易主義への転換

 ゾンバルトはゾンバルトで、後期資本主義の行く末を憂慮したあげく、おのれの行き方を転換した。その時期はとくに第一次大戦がはじまった頃であるように思われる。彼はそれまでの自由主義的な主張をまったく忘れたかのように一九一六年、まずイギリス的な「贅沢は敵」だとして、英雄的民族であるドイツ人は挙国一致して、商人的民族であるイギリス人を正面の敵として戦わねばならぬと力説した。そしてドイツ人は飲食や娯楽の面でもイギリス流の奢侈をやめ、イギリス人の好きなクリケットのような戦争に役立たぬスポーツを排し、もっぱら軍事訓練に役立つような体育にはげめなどと述べた。

 先にゾンバルトを唯物主義者、快楽主義者と笑った恩師シュモラーは、ゾンバルトの自由主義者から軍国主義者への変身を見て、サウロからパウロへの転換だと批判した。かつてキリスト教迫害者のユダヤ人サウロはシリアで復活したキリストに会ったと信じてから回心し、名前もパウロに変え、逆にキリスト教の発展にはげんだという故事にちなんだ嘲笑であろう。

 しかしサウロからパウロへの転換は、いみじくもゾンバルトのその後の人生行路を象徴した予言となったようだ。第一次大戦が終わったあと、彼はドイツが今後、工業よりも農業重視の自給自足経済を推進しなければならないと主張した。とくに一九三二年、ヒトラーの政権掌握の前年に行った演説では「西欧の独占的国際経済支配は発展途上国の躍進によって終わってしまった。ドイツも輸出の減少、輸入の超過という現状を克服するためには経済の自給自足、とくに食糧生産の拡大につとめねばならぬ」などと述べた。

 しかしこうしたゾンバルトの愛国主義もナチからは受け入れられなかった。彼も社会主義を促進するようなことをいっているが、いずれも国家社会主義から見ればまったく物足りない見解であった。とくにヒトラー総統の役割を無視しているのはけしからんとナチ寄りの著述家から非難された。

 ゾンバルトはかくして当時の支配的な学界からは相手にされず、一人さびしくおのれの研究の総決算をはかるべく努力し、ついにナチの「人種論」などにまったく対立する客観的民族論などを含めた『人間について』を執筆したわけだ。

 その内容の評価は後述することにして、ここではゾンバルトの業績、とくに彼がいわば本領を発揮したとされる初期自由主義的な著作についての最近の評価について述べてみることにしよう。


再評価の動き

 ゾンバルトの生前の評価については前述した通りだが、第二次大戦が終わってから再評価の動きが出てきた。フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルは、とくにゾンバルトの『近代資本主義』の中に見られる運輸交通組織の幅広い研究を、一九七〇年代においても注目すべき古典的労作であると述べた。

 また一九九一年夏、ゾンバルトの死後五〇年を記念して南ドイツのハイルブロンで開かれた国際シンポジウムには、ドイツ、アメリカなど各国からも四十人あまりが参加し、彼の再認識、再評価をめぐって熱心な研究発表と討論が行われた。私もそれに参加したが、研究発表ではゾンバルトの令息で、ストラスブール大学の歴史学教授が行った父親の業績回顧の演説が印象に残っている。

 日本でも再評価の声がいくつか上がっている。たとえばヴェーバー研究で知られている経済学者の姜尚中(カンサンジユン)氏は拙訳『ブルジョワ』の書評(「思想」一九八九年十二月号)の中で、性愛を重視し、いわばディオニソス的なゾンバルトの所説に触れ、次のように述べている。
「禁欲の洗礼を受けた資本主義の意義を突出させるヴェーバーの類型論には、その切り口が鮮やかな分だけ何かが欠落しているように思えないだろうか。それは一言でいえば、文化における感覚的要素、さらには『性』に関する言説といってもよい。あるいはニーチェふうにいえば、アポロン的なものに対するディオニソス的な要素である」


 また評論家の日下公人氏は平成十七年「文藝春秋」十一月臨時増刊号の中でゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』に触れ、次のように述べた。
「昭和二年、河上肇がマルクスに帰依したと宣言した。それはそれまで帰依していたゾンバルトを捨てたことだ。河上の弟子たちもたちまちゾンバルトを読まなくなったのはおそまつな話である」などと述べた。また日下氏は最近ドイツでもゾンバルトが再評価されたと述べたあと、日本人がこのところ贅沢に関心を寄せるようになったことに触れ、次のように述べている。
「……日本人が夢とする贅沢文化の正体はいったい何なのか──それはヨーロッパが開発した王朝文化とアメリカの現代文化が主だったが、日本の伝統文化も少し加わっていた。そこでゾンバルトを研究すべき時代がもどってきた」

 ところで余談になるが、この論文の中で、日下氏が今の日本人の贅沢の姿の実例を列挙している。それをゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』の中の列挙と並べてみることにする。

 日下氏「デパート、スーパー、レストラン、アパレル、マンション、郊外の建て売り住宅、ゴルフ場、文化教室、スポーツ教室、海外旅行、女子大学生の増加」

 ゾンバルト(ただし近代の都市の中の奢侈)「劇場、とくに宮廷劇場、一般向けミュージックホール、ダンスホール、高級レストラン、居酒屋、ホテル、商店、医薬品、香水、装飾品、衣服、砂糖、コーヒー、陶器」

 などとなっている。ゾンバルトの列挙したものと日下氏の列挙したものとをくらべると、ゾンバルトのほうがいささか古くさく、大正末期や戦前の日本の流行を思わせるものがあろう。


『人間について』を取り巻く当時の状況

 さていよいよゾンバルトの『人間について』であるが、これを老いた好事家がなぐさみに書いた本と見る向きもあろう。またこの本は少なくとも彼本来の社会学、経済学の本道からはずれた仕事であり、碩学が長年の雑学研究の成果を披露したにすぎないとする人もいるだろう。しかしそれはあやまりである。本訳書第一章冒頭のマルサス人口論批判でもわかるように、彼は現代社会の経済的諸問題を幅広く扱っている。

 そのこともさることながら、彼が人間を研究するにはまずその精神の状況を問うべきだと強調していることが注目される。血液によって代表されるような、人間の肉体的遺伝素質もさることながら、いったんこの世に生まれてきた人間は教育教養によってはじめてその精神の向上をはかるべきだと説いたわけだ。

 当時はナチの時代であり、ヒトラー総統自ら音頭をとって、ドイツ人を含めアーリア人種は優秀であり、世界を征服する権利があるとした。これに反し、ユダヤ民族は劣等であり、滅ぼすべきであるとした。

 ヒトラーはたとえば『わが闘争』の中で次のように述べた。これはユダヤ人が悪者であることを示すためだ。
「黒髪のユダヤ青年が何時間も悪魔的な喜びを顔面にたたえつつ、何も知らないドイツの少女を手に入れようとうかがっている。のちに彼は少女の属する民衆を害するのだ。ありとあらゆる手段を用い、彼はいずれは隷属するつもりの非ユダヤ民族の人種的基礎を破壊させようとつとめている」(原書上海版三五七頁)

 ヒトラーはこんな反ユダヤ的なたわ言を書いている、と笑っていた者もいただろう。しかしヒトラーはその後、実際に六百万人ものユダヤ人をアウシュビッツ強制収容所などで虐殺するなど、おのれの放言を実行した。

 そうした悲劇が起こる寸前の時期に、ゾンバルトが本書の中で「精神の流れは独立した血液の流れと並行して進んでいる」と書いて、人種よりも精神をたたえたことは重要である。

 そのため本書はナチス当局ににらまれ、出版も制限されるに至った。

 一九三九年、第二次大戦がはじまると彼の立場は一層不利になり、一九四一年五月十八日に死去したわけだが、彼の妻コリナ・ゾンバルトは戦後、「夫の本はただ学者だけにしか販売が許されなかった。ドイツでも外国でも夫の研究発表は禁止され、最後の学会での講演も拒絶された」と書いている。


碩学ゾンバルトの総決算

 それでは本書『人間について』の内容について述べよう。

 本書は全三部に分かれている(その最後の第三部「人間の生成」のみを訳出したことは前述した通りだが、第一部は「人間の特性」、第二部は「人間と民族」と題されている)。

 第一部、第二部の中のいくつかの要点を述べると、まず人間と動物との違いが強調されている。たとえば、動物は衝動によって行動するが、人間は精神の定めた目標にしたがって行動するためそれだけ危険も多い。

 また人間ははじめは動物並みで、たとえば裸に近い状態で暮らし、他人に見つからないように食事をしたりしているが、やがて社交性ができて仲間と一緒に食事をするようになる。

 人間は道具を使うようになり、共同体をつくって発展し、知識も向上する。

 人間の性質も多様になり、自然人に対抗する文化人も出現した。生活も多様化した。

 第一部、第二部ではこういった人間の古くからの本性などについて述べている。

 そして、いよいよ本書の第三部では、「人口論」「少子化論」「都市化論」「民族論」「環境論」などといった現代人が直面している課題について取り組むことになった。

 そこで今回はこの第三部のみを訳出したわけだが、さらにその一部の煩瑣(はんさ)なくだりは省略した。

 まず人口論だが、現代社会でもこれは大きな経済問題である。一方では人口の増大によって人類の食糧が不足するのではないかというマルサス以来の憂慮が消え去らない。今日の世界では七〇億の全人口のうち、八億七〇〇〇万人が飢えに苦しんでおり、その対策が急がれている。

 他方では日本をはじめ多くの国で少子化が問題になっている。人口を維持するのに必要な出生率は二・〇七とされるが、日本ではわずか一・四一である。これでは日本の人口は将来激減し、社会や文化の発展が阻害されると見られている。

 このように現代社会でも人口問題は人類にとって大きな課題となっているが、ゾンバルトは人口論を扱った本書の第一章では「人口が幾何級数的に増えるのに、食糧生産は算術級数的にしか増えず人類の将来が心配される」としたマルサス論をあまりにも自然科学的であると批判する。そして彼は精神科学的人口論というものを樹立すべきであるとする。彼はその根拠として、政治、宗教など人間の精神の作用によって、人口の増減が大いに左右される歴史的事実を数字をあげて説明した。またゾンバルトは、人間が動物とくらべても子どもに対して冷酷なことを心配し、たとえば往事、未開発の南洋の島々で少子化を欲する若い女たちが自分が産んだ子どもの一部をすぐに飢え死にさせた例などをあげている。彼はまたこんなこともいっている。
「動物の場合には多くの仲間が死滅しても、かならず同数の新生命が代わって生まれてくるのを常とする。これを代用経済という。ところが人間は代用経済を考慮せず、平然と殺人を行い人口が減ってゆく。そのことを戦争の歴史が教えてくれる」

 さらに、第二章においては、人間が自然といかに戦ってきたかなどを述べ、また人間と資源の関係を扱っている。第二章は、内容的には前章の人口論の継承が多いが、人間と道具との関係、とくに現代のオートメーション化を論じた点は一九三〇年代の意見としては卓見といえるだろう。

 次に第三章の人種論、民族論については、彼は人間の価値は血による遺伝素質よりむしろ精神力にあると説き、そのためにアーリア人種の血の優秀性のみを絶叫したナチの幹部から叱責、非難されたことは前述した通りだ。それに彼は純粋な民族よりむしろ、混血民族のほうがすぐれた素質をもつものが多いとし、とくにユダヤ人をその例としてあげている。

 反ユダヤ熱がさかんなナチ時代のさなかに、かねてからその経済的才能を認めたとはいえ、彼がユダヤ人の性質を堂々と評価したのは感心すべきである。

 第四章の環境論が今日、世界的に大きな問題となっていることはいうまでもない。とくに日本人は水俣病や、原発事故などによる環境汚染をいやというほど体験しており、環境論は焦眉の急の問題である。ゾンバルトはそこまで予知したわけではないだろうが、同じ環境による影響でも単に自然的な要素ばかりでなく、精神的要素、人工的要素によるものが多いことに着目している。彼はいう。
「人は自然環境ばかりでなく、おのれを取り巻く、社会の状況、もっと一般的にいえば文化的な状況に左右されて個性をつくってゆく」

 つまり人間性が形成されるというのだ。

 その他ゾンバルトは環境や遺伝といった問題にも踏みこんでいるが、持ち前の博学多識ぶりを発揮してこんな話題も提供している。
「現代人には実は自然の森林はありえない。彼らにとって森林とは、森番、猟師、学者、探検家らが入りこむ場所、実はグリム童話のヘンゼルとグレーテルが迷いこんだのと同じ人工的な森、植林された森ばかりだ」
「母親からでなくして乳母から授乳された子どもは意外と精神力の発育ぶりがよく、有名人になった者も多い」

 これはモーセのことなどをいっているのであろうが、いずれにせよ、ゾンバルトはきわめて学問的問題を扱う際にもつねに意外、異常と思われるようなエピソードを加えつつ話を進めてゆく才能があると思う。その点も鑑賞していただきたい。


 末筆ながら、本書の出版を実現させてくださったPHP研究所の方々、とくに大久保龍也さんに深く感謝の気持をあらわしたい。


 平成二十五年十二月
金森 誠也 
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