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自分を消したいこの国の子どもたち
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第5章 親と子の家族倫理

『自分を消したいこの国の子どもたち』
[著]町沢静夫 [発行]PHP研究所


読了目安時間:15分
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崩壊する家族倫理
 すでに私はいろいろな本で書いていますが、日本の親と子の家族倫理は完全に逆転してしまっています。つまり子どもは親を支配し、奴隷化しているということは、いろいろなところでみられるものです。家庭内暴力は、その象徴と言えましょう。母親は子どもの暴力を受け、ただ我慢するのです。「自分さえ我慢すればいい」と、母親が我慢することで子どもの暴力はさらにエスカレートし、結局は警察に頼る、あるいは入院という形を取らざるを得ないものです。

 小さいうちから「暴力は家では通じないのだ」ということ、「暴力で自分の欲望を満たそうとするならば、いかなることでも満たされることはない。自分の言いたいことは言葉で言ったからといって全て認めるわけではないが、しかしその中で正しいもの、それは認めましょう」という、基本的な倫理が家の中で確立されていなければなりません。

 このようなことは、小学校低学年までに、しつけの中で成立していなければならないものです。これを逃して、小学校高学年、中学生になると子どもの方が身体が大きくなり、母親が子どもをしつけようと思っても、もはやしつけることはできず、子どもの体力の前に負けてしまいます。つまり子どもをしつけるどころか、子どもから逆に「俺の言うものを買ってこい」というような命令に従わざるを得ない「下剋上」が起こるのです。

「子どもが一番」は未曾有の状況
 このような「子どもが一番」という、そして「子どもがすべて」という日本の家族傾向は日本の過去の歴史にもなかったものであり、そしてまた世界の歴史にもないものです。

 おそらく「子どもが一番」という価値観の成立は、一九七〇年前後から起こってきたものと思われます。一九六八年には大学闘争があり、これが一九七〇年まで続きました。この大学闘争のさなかに「キャラメルママ」と称する東大生の母親たちが、田舎から出てきて、子どもたちにキャラメルを渡したということが話題になりました。

 しかし「二十歳を過ぎた学生の運動になぜ親が出てこなければならないのだ」という批判が強く起こり、そのうちにその母親たちは消えていきました。当時は、このように子どもといえども、二十歳を過ぎれば母親は力がなかったのです。

 しかし、一九七〇年を過ぎる頃から、子どもたちはきわめて静かに、親に従順になっていきました。そして、その従順さがしばらく続いた後、少子化、学歴社会の勢いが一挙に強まり、子どもは教育投資の対象になったのです。

 子どもの教育費、つまり塾や予備校に行くお金は総収入の四〇%前後にまでなり、ここに至って、子どもに一番お金をかける時代がやってきたのです。
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