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言葉はなぜ通じないのか
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生き方・教養
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3 時枝言語論の射程を検証する

『言葉はなぜ通じないのか』
[著]小浜逸郎 [発行]PHP研究所


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言語を人間学的な対象として扱う

 吉本隆明さんの言語本質論には、じつはそれを支えた強力な先達がいます。それが時枝誠記(もとき)という国語学者です。

 この人が並みの言語学者と違って、いかに哲学的な言語把握にすぐれていたかは、おいおい紹介していこうと思いますが、吉本さんの自己表出・指示表出という概念も、時枝さんの発想に多くを負っていると考えられます。そして、言語の本質を追究するにあたって、時枝さんのものの考え方が非常に重要な意味をもってきます。

 私自身の考えも、ほとんどこの人の発想に吸収されてしまいそうです。ただし、まったく同じでは少々情けないので、心意気を示すために、彼の考えにおける難点の指摘と、それをどう発展的に解消したらよいかについてもお話ししたいと思います。

 時枝さんが『国語学原論』(岩波文庫)という本のなかで言っていることで、私が重要と思うことをいくつかあげてみます。

 まず、言語というものは、自然対象物のように固定したものとしてあるのではなく、主体の生きた言語活動を離れてはどこにも存在しないという点。この見方は、日本語の文法構造を論じるときにも徹底して貫かれています。言語研究者は言語活動を観察する立場に立つわけですが、その観察的立場も、自然物を観察するように観察するのではなく、あくまで言語を使用している主体自身の活動のあり方そのものに焦点を当てて観察しなくてはならないというのです。
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