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図解版 「あとでやろう」と考えて「いつまでも」しない人へ
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生き方・教養
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心理学的に分類できる「のろま」6つのタイプ

『図解版 「あとでやろう」と考えて「いつまでも」しない人へ』
[著]和田秀樹 [発行]ゴマブックス


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●のろまのタイプ1


 「頭の回転が遅い人」だけが「のろま」ではない


■「頭の回転」は訓練しだいで速くなる■


「のろま」にも、さまざまな種類があります。


 第一に皆が思いつくのが、「頭の回転が遅いタイプ」ののろまな人でしょう。


 例えば計算がすごく遅い、のみ込みが悪い、反応が悪いというタイプの人たちです。


 確かに一般には「のろま」や「グズ」というと=(イコール)頭の回転が遅い人、というニュアンスで語られてきた部分があります。作業が遅い、計算が遅い、問題を解くのが遅いという人は、たいてい試験でも悪い点をとるので、その結果「頭の回転が遅い人」=「のろま」とみなされてしまうわけです。


 しかし、実際に「頭の回転が遅い人」だけが「のろま」なのかというと、必ずしもそうとは限りません。


 ここでいう「頭の回転が遅い」とは、コンピュータに例えると「CPUの演算速度が遅い」ことに等しいと思います。CPUというのは、コンピュータの中心とも言える部品で、データを演算している部分です。コンピュータは、すべてデータの演算によって動いていますから、CPUの演算速度が速いと、コンピュータそのものの動作も速くなります。


 人間の能力についても、計算の速い人と遅い人を比べれば、速い人のほうがテストの点数は高くなるはずです。これは、純粋な「処理能力」の問題といえるでしょう。


 こういうことを言うと、「自分は生まれつき頭の回転が遅いからダメだ」と思う方もいるでしょうが、私はそうは思いません。コンピュータは、CPUを取り替えない限り演算能力が上がることはありませんが、人間の能力は訓練でスピードアップします。

「百ます計算」で注目を集めた立命館大学教育開発推進機構教授の陰山英男先生は、どんな子どもでも百ます計算を毎日やらせているうちに、計算は速くなるし(一番遅い子でも全国平均以上とのことです)、教科書の(あん)(しょう)をやらせているうちに、暗記も速くなると自らの体験から語っていました。


 この話を聞くと、「頭の回転が遅い」というのは、単なる練習不足であることがわかります。もちろん、小学校くらいから練習しておくに越したことはありませんが、今からでも遅くないのです。繰り返し計算ドリルなどに取り組めば、大人でも十分「頭の回転が遅い人」から脱却できると私は信じています。


■努力不足・訓練不足による「のろま」はすぐなおる■



 一方、「頭の回転」は遅くないのに、努力不足や勉強不足によって「のろま」のレッテルをはられるケースもあります。計算そのものが速くても、勉強の仕方が悪かったり、取り組む態度に問題があったりすると、問題を解くスピードは落ちてしまいます。


 これは、もともとの能力というより、取り組み方や努力の度合いによって決まる「その時点での能力」の問題です。


 しかし、このタイプの人がいくら頭は悪くないといっても、周囲による評価は非常に低いものとなります。実際のテストの点が悪いために学歴が低くなったり、入社試験でも損をするので、いわゆる「いい会社」にも入れないことになります。仕事に関しても、訓練や準備の不足によって、「仕事のできないダメな人」という評価を受けるのです。


 その結果、能力はもともと低くないのに、世間で言われる「頭の回転が遅い人」と同じ扱いを受けるのです。これはもちろん、ちゃんと努力することで十分に挽回可能ですし、なおしたほうがいいでしょう。しかし、このタイプの多くの人は「俺は頭も悪いし、学歴も低いからダメだ」などと誤解してあきらめてしまっているのかもしれません。どちらにせよ、まじめに取り組めばすぐに挽回できる「のろま」です。


■一番の問題は「本当は能力のある」のろま■



 しかし、それ以上に問題なのは、頭の回転が遅いわけではないし、人並みに努力も勉強もしているのに「のろま」になってしまう人たちです。例えば同じ大学に入って、同じ知的レベルがあるはずなのに、「のろま」な人とそうでない人が出てきます。同じ入社試験で会社に入ったのに、会社でも「のろま」な人とそうでない人がいます。


 実は「のろま」の中でも、能力はあるのに「あとでやろう」と考えていつまでもしない人や、物事への優先順位がつけられないといった人が圧倒的に多いのです。こういうタイプの人は「心理学的のろま」といえるでしょう。この「心理学的のろま」は、きちんと自覚して意識的になおしていくことが重要です。


 私の考えでは「頭の回転が遅いのろま」に、あと5つ加えて、6つのタイプに「のろま」を分けることができます。ここから先は、そうした5つの「心理学的のろま」に重点を置いて考えていきましょう。


【要点】


 能力があるのに「のろま」になっている人は多い。




●のろまのタイプ2


 「できる人」に意外と多い「完全主義ののろま」


「心理学的のろま」は能力の優劣と関係なく表れます。こう言うと驚かれるかもしれませんが、意外と「知的レベルの高い人」が心理学的のろまになってしまうことがあるのです。


 まず、心理学的な意味で「のろま」になりやすい人に、以下の二つのタイプが知られています。


 最初の一つは「完全主義者」です。完全主義者は、何事も完ぺきにやらないと気が済まないので、大切なことに比べて細かい部分に非常に時間をかけてしまいます。結果的にものすごく時間がかかって、締め切りを過ぎてしまうのです。こういう人は「のろま」という(らく)(いん)を押されてしまいがちです。


 もう一つは、自己愛の強い、世間でいう「プライドの高い人」です。自分の失敗やミスを必要以上に恐れたり、自分のやったことがすごく良くなければならないと思ったりするタイプの人です。これも、結果的に「のろま」になってしまいます。


 この二つの根はつながっていて、きれいに分類できるものではありません。


 例えば、事物を「あるがまま」に受け入れるように促す「森田療法」の考え方では、完全主義者は自己愛が強く、自己愛の強い人はどうしても完全主義になりやすいと考えられています。片方が片方を、お互いに生みやすい悪循環になってしまうのです。


 ところが、「プライドが高く、失敗を恐れ、完ぺきを目指して満を()さないとやらない」というタイプは、日本では比較的賢いとされる人(私はこういう人は本質的な意味で賢いとは思いませんが)に多いようです。日本では、ある意味での完全主義者、何でもきっちりしていないと気が済まないタイプの人の評価が意外と高い。つまり、のろま的な心理を持っている人が、社会ではいいポジションにいたりするのです。



 私の先輩の医師を例に挙げましょう。この人は、すごく物知りで読書家です。何を聞かれても知っているので、周囲の人からは「あの人は何でも知っている先生だ、素晴らしい人だ」と高い評価を受けています。本人も、評価の高さを自覚しているので「とてもじゃないが、私は駄論文など書いていられないよ」というスタンスをとっているのです。


 この人が年齢を重ね、地位も順調に上がっていくと、やがて「彼ならきっと教授になるだろう」「学位論文はいつ書くのだろう」と周囲の期待が高まってきます。


 ところが、実際には、彼は一本も論文を書いていないのです。これほど評判の人なので、今まではあまり問題にされずに済んでいたのですが、さすがに学位論文だけは書かないと医学博士の称号がもらえません。


 こうなってくると、いっそう周囲の期待が増します。「あの先生はきっとすごい論文を書くに違いない。しかも、初めての論文が学位論文なのだから、素晴らしい出来に決まっている」という大きなプレッシャーがかかるのです。


 本人も当然それを自覚しているのでしょうが、それ以上に「自分は絶対に、そのへんの連中と違うものを書かなければいけない」と思い込んで悩んでしまうのでしょう。結局、論文に手がつけられなくなり、結果的には残念ながら「のろま」の部類に入ってしまうのです。


 この先生は私より年上ですが、今まで一本もオリジナルの論文を書かないまま、60歳くらいになっています。非常に優秀で、世間的にもかなり「頭がいい」人なのに、論文がいつまでたってもできないので、医学博士にもなれず、出世も思い通りにはなりませんでした。結果的に「のろま」という評価を(くだ)されて、このまま人生が終わってしまう気配さえあるのです。ここには「のろま」を(つらぬ)いてしまう怖さがあります。


 このように「できる人」がのろまになるメカニズムがあるのです。


 しかし、逆に考えれば「できる人」が「のろま」になってくれるわけですから、能力的にごく普通の人であっても、この手の心理学的「のろま」にならずに済めば「できる人」に勝てる可能性が出てきます。


 例えば「できるのろま」の人よりは、いい加減な論文でもたくさん書いていた人のほうが、はるかに早く教授になっていたりします。「できるのろま」よりは、能力的に劣るかもしれないけれど、パッパッとできるだけのことをすぐやる人のほうが、かえって高い評価を受けるものなのです。


【要点】


 完ぺきを目指すあまり遅くなるのは、立派な「のろま」である。




●のろまのタイプ3


 いつまでも実行に移せない「計画倒れののろま」


「何をしようかな」と考えているうちに午後になる、日が暮れる、というタイプの「のろま」がいます。計画倒れになりやすいのです。これも「頭のいい人」とされる人によく見られる現象です。


 本来、計画とは実行するために立てるものなのに、計画を立てる行為自体に時間がかかってしまう人です。


 新しいことを始めるに当たって、綿密に計画とシミュレーションを繰り返したあげく、実行に移せなかったり、実行に移しても計画どおりにいかないとすぐに行き詰まったり、やっている最中でも「次に何をすべきか」ばかり考えて前に進まないのです。



 例えば、試験の心配をして、勉強の計画を立てるだけで時間がなくなってしまう人たちがいます。


 私の知る範囲では「和田式オタク」といわれる人たちがこれに当てはまります。この人たちは和田式勉強術の本を非常にたくさん読んでいます。「あんなふうに勉強しよう、こんなふうに勉強しよう」という理屈にはものすごく詳しくて、友達に勉強のアドバイスまでしていたりします。


 にもかかわらず、本人は成績が悪いのです。


 なぜかというと、「ああしよう、こうしよう」と思いながら、計画を少しも実行に移していないからです。実行しないせいで成績が上がらないのに、「和田式の本を読んで、かえって成績が下がった」といういわれのない非難をする人もいるのです。

「ああしよう、こうしよう」と夢想していても、実際の仕事が進むわけではありません。現実にしなければいけないのは「行動」です。考えやプランより「実行」が大事なのです。いつまでが計画の期間で、いつからが実行の期間かというバランスが悪いと、やはり「のろま」になってしまいます。


 計画にかける時間を3だとして、実行にかける時間が7であればよいのですが、計画のほうが7で実行が3になってしまうことがあります。それだけでも十分に「のろま」なのに、計画に7も時間をかけていると、計画そのものが綿密になりすぎて、実行するのが余計に難しくなってしまったりします。


 計画と実行のバランスの悪さによって「のろま」になってしまうのです。


 もちろん、アレコレとシミュレーションを考えることはよいことです。昔のように、失敗ばかりに重点を置く減点法の厳しい評価を受けたり、仕事上でも、物事の正解がある程度はっきりしている時代であれば、計画に時間をかけることにも意味があったでしょう。


 しかし現在は、計画に時間をかけたところで、何が起こるかわからない時代です。


 計画に時間をかけているうちに新しいものが出てきて、追い抜かれてしまうこともあります。計画を立てるなら、計画と実行のバランスを見積もることができないと意味がないのです。


【要点】


 計画は実行するためにあると知ろう。




●のろまのタイプ4


 今日すべきことを今日できない「先延ばしののろま」



 3つ目の「のろま」は「先延ばし」の習慣が身についているタイプです。


 今日やれることを今日やってしまえばいいのに、日本の社会では「明日やろう」「あとでやろう」という考えが許されてきたので、先延ばしが当たり前になってしまっています。


 今日やることを「明日やるつもりだったのに」といって、本当に明日やるのなら、まだ救いがあります。ところが、多くの場合、明日もやらないのが問題なのです。やはり「明日やる」ではいけません。今日やることを明日やるのではなく、いつかはそういった習慣を断ち切らなければいけないのです。


 ところがこういう人は、なんとなく「明日やろう」と先延ばしするのが習慣になっています。これには性格的な問題もあるかもしれません。しかし、私が考えるには、こういう人はまだ「決定的な痛い目」に遭っていないから、先延ばしが習い性になっていることが多いようです。先延ばしをしていて、何か決定的な失敗をしたり、仕事ができない(らく)(いん)を押されて大きな挫折を味わったりすれば、「これからは先延ばしはやめよう」と反省するでしょう。しかし、痛い目に遭ってからでは遅すぎることもあります。


 こういうタイプの自覚が少しでもある人は、問題が大きくなる前に、意識的に先延ばしの習慣をなくしていく必要があるでしょう。


【要点】


 先延ばしは百害あって一利なし。痛い目を見る前になおすべき。




●のろまのタイプ5


 「忙しい」が口グセの「言いわけ上手なのろま」



 このほか「できる人」に多い「のろま」のタイプとして、「上手に言いわけをする人たち」がいます。「突然、別の仕事が入ってしまった」「急に忙しくなってしまった」「割り込みの仕事が入った」などと、いつも言っている人たちです。


 このタイプの「のろま」には意外と怖い落とし穴があります。


 仕事が突然入ってきたとか、ほかのことで忙しいという言いわけをして肝心な仕事を遅らせている人には、物事の優先順位がつけられないことが多いからです。


 急に仕事が入ってくること自体は、不可抗力かもしれません。あとから割り込んできた仕事を先に片付けたほうがいい場合もあるでしょう。しかし、なぜそういう人たちが「のろま」といわれるかというと、急に入ってきた仕事より、本当にしなければならない仕事のほうが重要なことが多いからです。


 忙しくアレコレ仕事をこなしているように見えても、本分の仕事のほうが「のろま」になってしまっているのです。


 言いわけをする、しないにかかわらず「のろま」の中でも特に問題なのは、このように仕事の優先順位がつけられない人、何を先にやるか、何をあと回しにすべきかの判断ができない人です。


 急な用件が入ったときにパニックになってしまうか、あるいは「こっちから片付けてしまおう」と考えて、優先順位の高い仕事をあと回しにしてしまうのです。大事な仕事のほうを期限までにきちんとやっておかないと、はるかに評価が下がるのに、それに気づいていないことも多いのです。



 こういう人は、多くの場合「ぼくは忙しいから」といって「のろま」であることを自覚していません。しかし、忙しいことを仕事が進まない言いわけにしていると、いつまでも仕事量のこなせない人になってしまいます。


 手前みそですが、私が比較的多くの仕事量をこなせるのは、優先順位づけをしっかりしているからではないかと思っています。


【要点】


 優先順位をきちんとつければ、「のろま」にはならない。




●のろまのタイプ6


 何をやるのも面倒くさがる「性格的なのろま」



 ここまでは、「能力的なのろま」、または「心理学的なのろま」の例を挙げてきました。もう一つの「のろま」のタイプとしては、「性格的なのろま」があります。

「性格的なのろま」とは、何をするにしても面倒くさがったり、やる気がしないというタイプです。


 このタイプの「のろま」の人はかなり厳しい状況に陥っています。私は、「能力的なのろま」よりも、「性格的なのろま」のほうがタチが悪いと思っています。「こんなこと、面倒くさくてできない」「そんなこと、なかなかできないよ」と開き直ってしまうような「性格的なのろま」は根が深いのです。

「能力的なのろま」であれば、物事をこなすスピードを速くする方法で対処できます。


 和田式勉強術を引き合いに出すと、「数学の問題を1問解くのに3~4時間もかかるなら、すぐに解答を見て解き方を覚えなさい」と指導しています。このように、実際の能力については、ちょっと方法を変えるだけでスピードがアップすることがあるのです。あるいは、仕事に優先順位がつけられない人が、ちょっと優先順位づけを心がけるだけで、はるかに仕事のスピードが上がることは珍しくありません。


 しかし、性格的に何ごとも面倒くさがり、「ダルい」「もう、ええわ」と考えがちな人は、大きく日常習慣を変えたり、考え方を相当しっかりと改めたりしないとなかなか改善できません。大げさに言えば、性根をたたき直さなければならないのです。


 もっとも、「何をやってもダルい」という人は、たぶん本書のような本を読むこともしないでしょうが……。そういう意味では、この本を手に取っているみなさんは、「性格的のろま」の人に比べれば、ずっと「のろま」脱却への出口に近いといえます。


 いずれにせよ、変なこだわりがあったり、明日やればいいと思うちょっとした「気持ちのクセ」が、人を「のろま」にしてしまうのです。


【要点】


 「面倒くさがり」は、一番やっかい。考え方を根底から改めよう。




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