戦わなくても勝つことができる。
むしろ戦わないほうが人生はうまくいく。
こう言うと、大半の人が「そんなことができるわけない」と思ってしまうのではないでしょうか。
しかし、そう思わずにはいられないほど、今の社会は、誰もが、さまざまなところで“戦って”います。学校では成績で競い、会社では業績を競う。こんな競争原理、成果主義を土台に据えれば、戦うしかありません。
「戦う」というのは「勝ち負け」の意識や「敵・味方」の意識を育てます。
この意識がさらにエスカレートしていくと、どうなるでしょうか。
結局は、どんどん味方が減っていって、「敵ばかり」となってしまいます。多くの人がこんなふうに感じているのが、今の社会なのかもしれません。
とりわけ人間関係においては、戦って勝つということがあると考えられているのでしょう。人や社会に対して「敵だ」という意識を強く抱いている人は、もちろん、戦って勝とうとします。
ところが、そうやって「戦って勝とう」とする人は、戦って勝っても、さらに戦おうとします。どうしてでしょうか。
それは、戦っても戦っても、「自分の望むものを得られない」からではないでしょうか。では、その望むものとは、一体、何なのか。
一言で言うと“満足”ではないでしょうか。
けれども、私が提唱する『自分中心心理学』で常に言っていることは、「戦って勝っても満足することはない」ということです。
戦って負ければ「悔しい」と思うものです。ところが、明らかに勝っている人も「悔しい」と言います。負けても勝っても「悔しい」と思う。私が人間関係においては「被害者はいても、加害者はいない」というのはこういうことです。
はっきり言うと、「戦って勝てば満足する」というのは、幻想です。
元々、存在しないものを追いかけているのですから、どんなに戦っても得られるわけがありません。戦っていけば、勝っても負けても、恐怖が生まれます。勝つことが幻想であれば、残るのは「負けた」意識と「恐怖」だけでしょう。
もしあなたが、今いる場所で、自分の周囲には「敵ばかり」というふうに感じているとしたら、あなたは悔しい気分で恐怖を抱いているかもしれません。
そんな悔しさや恐怖を手放すには、戦いから降りるしかありません。
もちろん、戦いから降りるということは、「負ける」ということでも、相手に従うことでもありません。むしろ、戦わないために「自分を守る。自分を大事にする方法」を身につける必要があります。
それがまさに、『自分中心心理学』のスキルだと言えるのです。
石原加受子