▼▼▼姑のわがままに、もうウンザリ!
他者と争って、力で相手を動かそうとしても、お互いに傷つくばかりです。感情的になってしまうために、問題解決するよりも、次第に「戦うこと」が目標になっていきます。
そうなっていけば、知らず知らずのうちに、さまざまな日常生活の出来事を、「仕返しをするための材料」として使いはじめるでしょう。
多くの家庭が、我慢しながら戦って、「仕返しごっこ」を展開しています。
義母の世話をしながら病院通いに付き添い、子どもと夫の世話をして、疲れ果ててしまったという主婦がいました。
義母は、彼女がどんなに尽くしても、不満を口にします。「ここが痛い、あそこが痛い」と言われれば、良心とも罪悪感ともつかない痛みで心が疼き、義母の面倒で一日が終わってしまうこともしばしばです。
「ご主人はどうされているんですか」
こんな状況になっている妻たちに尋ねると、ハンコをついたように、
「毎日、仕事で帰りが遅いんです」
という答えが返ってきます。彼女の場合もそうでした。
「休日は?」
「付き合いだ、接待だと言っては、外に出かけることが多いですね」
と冷静な口調で答えるのですが、
「そのことで、夫に相談したことはあるんですか」
と尋ねると、
「争ってばかりいて、何度言っても聞いてくれないので、疲れてしまっています」
それは夫も同様でしょう。
実は、こんな状態になってしまうその奥には、戦い疲れた人たちの心が横たわっているのです。
▼▼▼一見、親孝行に見える夫が実は…「ご主人とお義母さんとの間は、どうですか」
「とても親孝行だし、仲がいいですよ」
と彼女は言います。
でもそれは、彼女が犠牲になっているために、成り立っている「仲の良さ」です。
親孝行という自分の言葉に惑わされている彼女の目には、仲が良くて母親を大事にしていると映ります。
「もし本当に仲が良かったら、夫は、喜んで母親の面倒を見たがるのではないでしょうか。あなたはどう思われますか」
「ええ。だから、誕生日だ、母の日だと言っては、私に、“これを母親に買ってやれ”と言うんですよ」
「それを買いに行くのは誰ですか」
「私です」
こんなふうに話をしていってようやく彼女は、夫の「親孝行」の正体を見たような気がしました。
▼▼▼妻を利用して母親に「仕返し」
彼女は義母に対して思うことを、義母ではなくて、夫に伝えます。夫に伝えたほうが角が立たないと思っているのです。
「けれども、夫は、一向に聞いてくれません」
と彼女は不満を漏らすのですが、夫は自分の母親に主張することができません。心の中では、母親に「自分の自由」を奪われた心の傷みを抱えていますが、それに向き合おうとしない夫には、無理な話なのです。
夫の視点から捉えるならば、
・母親に従わなければならないと思っている
・大事にしなければという思いもある
・反面、母親に対する抵抗もある
・かといって、母親と向き合う勇気はない
こんな思いのすべてを叶えてくれるのが、妻でした。
妻に、自分の役割を押しつけてしまえば、このすべてが叶います。自分では面倒を見ないという“仕返し”も果たすことができます。その手伝いをしているのが、妻だったのです。