読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/11/26 追記)

犬耳書店の作品をRenta!に順次移行します。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
100
kiji
0
0
1170245
0
「肩の荷」をおろして生きる
2
0
0
0
0
0
0
生き方・教養
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
1 「支えあい」のイメージを取り戻す

『「肩の荷」をおろして生きる』
[著]上田紀行 [発行]PHP研究所


読了目安時間:26分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


 無力感から脱け出せ

 この本では、いまの私たちをめぐる状況の何が狂っているかという問題を見ると同時に、私たちにのしかかっている「肩の荷」の正体について考えてきました。

 物事には原因があって結果があります。昔はこんなに苦しくなかったのにいまは苦しい。昔は「肩の荷」が気にならなかったのに、いまはずっしりと重い。そのことにも原因はあるのです。そして原因があるのであれば、それを取り除いたり改善したりできれば、状況はよくなるはずですし、もっと自由に生きていけるはずなのです。

 そう考えてみると、あることに気づきます。私たちの多くが、自分が背負わされている肩の荷について、もうどうにもできないと感じているということです。それはとても重要なポイントです。肩の荷を「自分の力でおろすことができる」と思っているなら、重荷が人生を支配することはありません。重いけれどももう少し背負っていようとか、そこでおろして自由になろうと考えることができるからです。おろせる肩の荷ならば、それがこれほどまでに私たちの人生を不自由にすることはないでしょう。

 つまり、私たちの意識の向こう側には、自分の力ではおろすことができないという諦めがあります。それを自分に対する無力感と呼んでもいいでしょう。私たちは肩の荷自体の重さに、「どうすることもできない」という無力感を自らプラスして生きているわけですね。

 秋葉原の青年も、同じように感じていたと思います。だからこそ、誰でもいいから人を殺して自分の人生をリセットするという、機能することのない解決法に追い込まれたわけです。

 しかし、どうすることもできないところにとどまっていては、背負わされた荷をおろすことはできず、ただ奴隷として生きていくしかありません。そして耐えるか、耐えられなくなって暴発するか、あるいは自分を傷つけることくらいしかできなくなってしまうのです。

 だから、無力感からの脱出がとても大切です。

 肩の荷はおろせる場合と、おろせない場合があります。肩の荷が社会構造や経済システムに起因している場合は、改善に時間がかかることもあるかもしれません。そして、持って生まれた罪深さや愚かさといったものを含めれば、一生おろせない肩の荷だってあるでしょう。

 ところが、人間は罪深いから背負った肩の荷をおろせないという哲学や信仰を持っている人が、嘆き悲しみながら毎日を生きているかといえば、必ずしもそうではありません。

 もちろん悲嘆に暮れ、絶望することはあるでしょう。しかし、一方では、おろすことができない肩の荷を背負わされた存在として互いに力をあわせようとか、私たちは原罪を負っているという点で神の前で平等だとか、仏さんは罪深い人こそ救ってくれるとか、そんなことを生き生きと語って、絶望を見たはずの人が力強く生きていたりする。まさに逆転の発想ですが、そんなことができるのが人間の面白さです。

 社会制度や社会システムによって肩の荷を背負わされていると主張している人たちも、絶望して生きているだけではありません。制度を変えようとか、システムをよりよくしようとか、こうすれば犠牲者が減るのではないかと考え、行動することにエネルギーを費やす人たちはたくさんいます。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:11360文字/本文:12695文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次