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フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか 「性の商品化」と「表現の自由」を再考する
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政治・社会
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はじめに

『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか 「性の商品化」と「表現の自由」を再考する』
[著]香山リカ [著] 北原みのり [発行]イースト・プレス


読了目安時間:7分
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北原みのり




 20年以上、性に関わる仕事をしているけれど、未だに「エロ」に慣れない。慣れないどころか、コンビニで「成人向け」と書かれた衝立一枚挟んで男性向けエロ本が並ぶ光景には、年々怒りが増している。こんな紙の衝立にいったい何の意味があるんだよっ! というかそもそもコンビニにエロ本なんて必要? ネットでひっそり買え! ブツブツ心の中で呪詛を吐きつつ本棚の前を通り過ぎるのが常だ。でも、時々我に返るように思う。私は何にこんなに怒っているのだろう。


 数年前に『ビートたけしのTVタックル』から出演依頼がきたことがある。二次元エロ表現を議論する、というテーマだった。性をテーマにテレビで語るのは怖いが、出ることにした。というのも、その頃、幼女の性器を模した男性向けグッズや二次元での幼女レイプ表現などに私は危機感を抱いていたから。幼女をレイプする表現は、たとえそれが現実の加害でなくても、子どもと女性へのヘイトスピーチなのではないか。そんなことをカメラの前で問いかけてみたいと思ったのだ。


 ところが放送日前日に送られてきた台本を見て、私は青ざめることになる。台本のなかで私は「表現規制派」と名付けられ、自民党のオジサン議員と並び、人気漫画家やタレントと「闘う」ことが求められていたのだ。規制すべきだとは言ってないし、女性の権利を理解しているとは思えない保守オジサン政治家とバイブを売るフェミの結託だなんて、グロテスクにもほどがあるだろう。かといって、こんな二項対立のなかでオジサンと私の違いをテレビの前で丁寧に説明できるのか。


 結局私は出演を辞退したのだけど、放送された番組を見て自分の甘さを突きつけられた。「表現規制」を主張する政治家のオジサンは表現の自由の尊さを理解せず、ファンタジーと現実の区別もつかないマヌケにしか見えなかった。一方「表現の自由派」は、ファンタジーはファンタジーですよ〜、表現の自由は権利ですよ〜と当たり前のことを言うだけで、最初から「勝っていた」。そうか、私は、嗤われ要員として呼ばれたのか。テレビの前で頬をはたかれるように気がついた。



 この国を生きるのに、エロは避けて通れない社会環境だ。電車の中のエロ広告、行政のPRに使われる萌えキャラ、女のモノ化を厭わないCMや、ネットの中の二次元エロバナーに、コンビニのエロ本。公共空間でこれほど女のモノ化が商売になっている現実は、この国が自由であることの証しなのか、それとも性差別の証しなのか。多分、どちらもだ。私はその状況に常に居心地の悪さを感じてきた。


 ところがその心の声をもらしたとたんに「表現の自由を規制するのか」「(エロ表現物がなくなったら)レイプが増えるぞ」と脅され、「批判するだけじゃダメ、どういうエロがいいのか示せ」などと「対案」を求められる。まるでどこかの国会みたいで、とかく、男のエロを批判するのは難しい。男のエロは権力であるかのように、私には見えている。


 とはいえ、正直に言えば、私は20年前はコンビニで女性向けのエロ本(←売られていた)をチェックするような女だったのだ。エロの「消費者」になりたいと願っていたし、女性たちが主体的に楽しめる場所が欲しいと願い、セックスグッズショップをはじめたのだ。今もその思いがないわけではないけれど、こと性に関して「女の主体」とか「女の自由」という言葉ほど、もしかしたらリアリティを持てなくなっているものはないんじゃないか、そんな社会で主体とか自由とかを、私が20代だった時と同じ調子で言い続けることには無理があるのではないか、と思うことが増えた。なぜなら、この20年、私は、性に傷つき、性に葛藤し、性に困っている女性たちと、より多く出会ってきたから。自由や主体よりも、これ以上傷つきたくない、これ以上怒りたくない、そんな女たちと出会ってきたから。


「エロ」を男目線を内面化して見ていくことで味わう葛藤を描いたのは、作家の雨宮まみさんだった。サブカルチャー、エロ、AVという男社会を「男目線」で渡り歩きながら、「女」として扱われることで受ける理不尽、自分を肯定できず否定し続けるような苦しみを「こじらせ」という言葉で表現した。


 雨宮さんが亡くなって、もうすぐ1年になる。私は彼女と親しかったわけじゃない。むしろ「彼女がなんで苦しんでいるのか、よくわからなかった」というのが率直なところだ。それでも雨宮さんを通してずっと見せてもらっていた。この国で女でいることの難しさに満身創痍な女たちの無数の背中を、そして「よくわからなかった」私が見えていないものの重さを。



 フェミニズムは万能じゃない。というか、万能なイズムなど、怖い。女の苦しさも多様だ。でも、こと性のことで傷つき、こじらせ、苦しんでいる女に届かないフェミに役割はあるのだろうか。今を生きる女の子たちは、どんな性の地図を生きているんだろう。私たちは、どこまで男を許せばいいのだろう。


 相変わらず女の子たちは、「お前は売れる」という合唱を空気のように浴びて生きている。むしろ少し前よりも経済格差が広がり、シングルマザーになった途端に貧困が極まるような粗末な社会保障の日本で、多くの女性たちが流れるように性産業に入っているのが現実だ。そして若い女子たちは次々に新しい「素材」を求めるエロ業界に、簡単に巻き込まれていくような社会でもある。


 大きな口を開けて女性たちを待っている性産業界を、クリーンに安全に整えるのが大人の仕事なのか、もしくはできる限りその入り口を狭くしていくのが正解なのか、なくすべきなのか。そしてこれ以上女の性をモノ化することで誰が幸せになれるんだろう。そういうことを、私は丁寧に語っていきたいと想った。「主体」と「自由」を手放したくないのなら、なおさら。



 そんな風に、普段ブツブツと一人で考えている私に、対談しよう、と声をかけてくださったのが香山リカさんだ。


 香山さんのペンネームはリカちゃん人形からきているのよと、会社の若いスタッフに話したら驚いていた。「結びつかない」と言う。今の若い世代にとって香山さんはヘイトスピーチに体当たりし差別と闘う人というイメージが強いのだそうだ。


 私にとっては香山さんはバブル時代のサブカルチャーを代表する言論人で、ラカンなども論じる「ナウい」お姉さんなのだった。香山リカさんを知ってから四半世紀。人形のほうのリカちゃんは、愛子さんが生まれた2001年に「妊娠」して、子どもが生まれた。リアルワールドのリカさんは、21世紀に街に出て差別をまき散らす集団とガチで闘っている。そんな未来、昭和の私には、想像できなかったな。人生は全く、一寸先は闇だ。


 というわけでお互い背負うものが重くなりましたね……な気持ちで、香山さんと膝突き合わせながら、性を語ることになった。それぞれ持っている性の地図をお互いに広げながら考えた。



 対談の項目は香山さんが考えてくださった。タイトルは全て話し終わってから二人で決めた。香山さんがオタクを、私がフェミを代表する、というわけじゃない。ただ、1989年に日本を震撼させた宮崎勤の「部屋」から、「オタク」文化の言論人として本格的に言論活動をはじめた香山さんと、宮崎勤の「部屋」から逃れるようにフェミニズムに言葉を求めてきた私は、そもそも全く違う性の世界を生きてきた。


 同じ「部屋」を見て、全く違う言葉を紡ぎ出した89年からの約30年。あの時、出会えなかった「オタク」の香山さんと、「フェミニズム」を求めた私の性を巡るフェミ的な対話だ。宮崎勤事件が破壊したものは大きい。そして、あの事件を起点にした30年間、私たちがこの社会で育んできたものの正体を考えながら、私は香山さんと話した。


 香山さんが見えている性の世界と私が見えているものは当然違う。当たり前。でも、私たちは表現の自由を失いたくないからこそ、語りあった。女は時代に呑まれながらも、おぼれないために誰かと手をつなぎたがっているのだ。そして対話はいつも、次の何かの一歩になると信じてる。皆さんも一緒に考えてくれるきっかけになれば嬉しいです。この機会を作ってくださったイースト・プレスの藁谷浩一さんに感謝です。

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