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取り戻せ、日本を。
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政治・社会
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第五章 総理の靖国参拝が実現する

『取り戻せ、日本を。』
[著]渡部昇一 [発行]PHP研究所


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「中国」は、もともと日本を指す言葉だった


 本書で、これまで「中国」という表記を繰り返してきました。もともと「中国」という言葉は、外国や異民族を、夷狄(いてき)と見下す「中華思想」が生んだ表現です。夷狄は「華夏(かか)」すなわち「中国」の対極をなす概念です。

 ゆえに「中国」は、中華人民共和国や中華民国の略称としてのみ使われるべきであり、地理的・歴史的ないし文化的な概念としては「シナ」(英語のチャイナ)を使用するのが正しい。私は一貫してそう主張し、実践してきました。

 その意味でのシナにおいて、「中国」の対極が、北狄(ほくてき)南蛮(なんばん)東夷(とうい)西戎(せいじゆう)なのです。これでは、日本が「東夷」という、見下げられた立場になってしまうからです。

 この際、若い読者の皆さんにも、ぜひ漢文の勉強をしていただきたいと思います。ある時期から、日本の高校生が漢文を勉強しなくなりました。大学受験にあたって、必要でなくなったからです。

 しかし、日本の明日を担うべき皆さんが、それでは困ります。平成二十四年は、『古事記』編纂千三百年という記念すべき年に当たりました。その『古事記』の太安万侶(おおのやすまろ)の序文は四六儷体(べんれいたい)を交えた華麗な漢文です。

 あるいは、同じく漢文で書かれた『日本書紀』を読んでいただければ、もともと日本語で「中国」というのが、いまの中国ではなく、この日本を指す言葉だということがわかります。つまり自分の国(日本)を「中国」と呼んだわけです。

 以前、私がそう指摘したところ、シナ文学者の加地伸行さんが批判してきたので論争となりました。加地さんが「『日本書紀』のような古い文献はだめだ」と言うので、私はこう反論しました。

 江戸時代の、山鹿素行(やまがそこう)の『中朝事実』にしても同じです、と。「中朝」とは「中国の朝廷」という意味ですが、もちろんシナの朝廷ではなく日本の朝廷ですよ、と申し上げました。つまり江戸時代においても「中国」は日本を意味する言葉だった――そう反論したわけです。

 さらに幕末にも、会沢正志斎(あいざわせいしさい)らが「中国」を、シナではなく、わが日本を指す言葉として使っています。

 もう、おわかりでしょう。古代を含めてのシナのことを日本人が「中国」と呼ぶのは、間違っています。私たち日本人が、国を売るような表現をすべきではありません。

 何事も根本から正す必要があります。対中政策も同じです。これまでのような、国を売る政治から脱却し、国益を守る政治へと姿勢を正さなければなりません。いったい何が問題だったのでしょうか。

 改めて、振り返ってみましょう。

尖閣問題における「柳腰外交」が招いたもの


 なんといっても忘れがたいのが、平成二十二年九月の尖閣(せんかく)問題での対応です。せっかく逮捕した中国人船長を処分保留のまま釈放した経緯です。

 日本の主権が侵害されたにもかかわらず、当時の菅政権は、初手から中国を刺激しないという姿勢に終始しました。(くらい)負けをしたわけです。

 中国漁船は、逃走に際して、海上保安庁の巡視船に衝突を繰り返し、二隻を破損させています。本来なら、そのときの映像を最初から公開すべきでした。逮捕した中国人船長に対しても、公務執行妨害や漁業法違反だけでなく、領海侵犯の意図や背景について厳しく追及する必要がありました。それを釈放してしまったのです。

 当時の経緯を簡単に振り返ってみましょう。中国の戴秉国(たいへいこく)・国務委員(当時)が深夜に、日本の丹羽宇一郎・駐中国大使(当時)を緊急に呼び出し、日本側の対応に抗議しました。

 実は事件発生以降、丹羽大使が中国側に呼ばれたのは、そのときが四度目でした。最初の一、二度目の相手は外務次官、外務次官補だったのが、三度目は楊潔(ようけつち)・外相、四度目に外交担当の副首相級である戴秉国・国務委員が直接抗議、と徐々に圧力を強化してみせたわけです。

 深夜の呼び出しは、外交儀礼上も失礼な話です。丹羽大使は「国内法に基づき粛々(しゆくしゆく)と対応するという日本の立場は変わらない」と応じたそうですが、当時の政府は、中国人船員を釈放し帰国させました。中国に屈服したという印象を世界に与えました。

 しかも、日中両政府が予定していた東シナ海のガス田共同開発に関する条約締結交渉の会合は、中国側の都合で延期されたのです。こういうのを「踏んだり蹴ったり」と言うのでしょう。日本政府はその後も「冷静に」と繰り返すだけで、中国側に押される一方になりました。

 中国に押されてばかりの日本が押し返すための切り札、中国の無法を世界に(あか)す「動かぬ証拠」が、衝突時のビデオ映像でした。当初は捜査資料ということもあり、非公開でしたが、船長を釈放した以上、非公開のままにしておく必要はありません。

 ところが、当時の仙谷由人・官房長官はビデオの公開を拒み続けました。
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