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なぜ飼い犬に手をかまれるのか
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まえがき

『なぜ飼い犬に手をかまれるのか』
[著]日高敏隆 [発行]PHP研究所


読了目安時間:3分
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 小学生のころ、ぼくは、昆虫網を持って近所の原っぱへ行き、虫を採ったり、犬と遊んだり、そんなことばかりしていた。標本を集めるというよりは、生きている虫たちをじっくり見ているほうが格段におもしろかった。

 高尾山の裏手あたりにはチョウがいろいろいると教えてもらって、電車に乗って行き、あちこちと歩き回った。そんなことをしているうちに、体が弱くて学校をしょっちゅう休んでいたぼくの体も丈夫になっていったのだと思う。

 毎年、春の女神ギフチョウが出てくるころになると、ぼくはいてもたってもいられず、早春の枯れ草の山に出かけていったものだ。ギフチョウの姿をみかけたときのうれしさ! ほんとうに美しい! なぜ、ギフチョウは枯れ草の早春にだけ、その姿をあらわすのか? 新しくチョウは毎年生まれてくるのに、なぜ同じような場所にあらわれ、同じようなルートを飛ぶのだろう? そんな疑問がぼくの胸中にひっかかっていた。
『少年少女ファーブル昆虫記』の中に、動物の死体を食べるシデムシという虫がいて、「死がいをうめる」と書いてあった。当時は、犬や猫の死体がけっこうころがっていたので、みつけたぼくは、すわりこんで、暗くなったのにも気づかずじっと長い時間シデムシたちを見ていた。「何をしているんだ?」と交番にひっぱられたこともあった。

 さまざまな生きものや虫たちと出合って、観察するうちに、いくつもの疑問が答えを得られないままに少年のぼくの胸にたまっていった。そうした少年のころからの延長線に、いまのぼくはあるのだろう。そのままそれを職業として昆虫学者になり、動物行動学者になったぼくは、幸せな人生を歩んでこられたのだと思う。彼らのことを知ろうとして、さまざまな理屈や論理を学んできたし、いくつかの実験や研究もしてきた。彼らの見方、「心」や「世界観」に少しでも近づけたのだろうか。

 動物には、種によってそれぞれの生きかたがあり、「言い分」がある。猫は群れないでひとり生きてきたので、ぼくたちのいうことをなかなか聞かない。一方、犬は集団でえものを捕ることで生きてきた。集団であれば、だれがリーダーであるかが問題となる。狩をするには、個々が勝手に行動しては捕まるものも逃がしてしまう。リーダーの統率の下、協力してはじめて大きなえものが捕らえられる。飼い犬はリーダーが頼りないと感じると、自分がリーダーになろうとする。そうした犬は、散歩のときにはひもをひっぱり、吠えてものを要求したりする。自分より順位が下だと思えば、飼い主のいうことを聞かなくてよいと考える。人からみれば「問題」と思える行動も、この犬からすれば当然のことをしているまでなのである。

 動物のことを長年研究してきたぼくは、人間も動物のなかの一つの種と見ている。人も動物とあまり変わらない、よく似ている点が見えてしまう。人が動物と異なることのひとつは、ある「問題」行動をとった後で「屁理屈をこねて」自己を正当化してしまうことである。いわゆる「後知恵」である。もっとすなおに「自分の誤り」を認めてしまったほうがどんなに楽かと思うのだが……おっと、ぼくも人の一員か。

 本書は、前半が中日新聞の連載で、後半が京都新聞の連載をまとめたものである。中日新聞では動物や虫たちを話題に書いたが、京都新聞のほうは「天眼」という論説的色彩の強い欄だったために、人間の話題をテーマに書くことが多かった。ここでは、それぞれお世話になった方々の名前は、いちいちあげないが、ぼくに付き合ってくれた方々に心から「ありがとう」と申し上げたい。


 二〇〇九年八月十七日
高 敏 隆  
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