小刀で鉛筆を削る。金

で釘を打つ。
鉋で板を削る。のこぎりで木を切る。包丁を使う。どんなに小さいことでも、実際に「できる」かどうかはべつとして、なにかを「する」とき、「できるようになりたい」と思うのは、ほとんど人間の本能である(なぜか知らないが「できない」とくやしい)。跳び箱を跳べる。歌を
空で歌える。ギターが弾ける。車が運転できる。これも「できる」ことだ。そして「できる」(「わかる」)ということはすでに「力」であり、その「力」を自分がもつということが「自分の力」なのだ。
鉋を買っただけでは板を削ることができるわけではない。