周知のように、五木寛之は「他力」を推奨する。「自力」を認めないわけではないが、その「〈自力〉と見える努力も、本当は〈他力〉の働きではないか」といっている。
思い切った決断、勇気、努力、持続する力、自分で自分に感心するくらいに一二〇パーセントの力を発揮できたとき、そのときこそが見えない〈他力の光〉がさしたときではないか。
(『他力』講談社文庫)
だが、「他力」が「他人の力」ではないように、「自力」は「自分の力」ではない。「自分の力」とはあくまでも自分一個の実際的な「できる力」のことであって、「他力」には相対しない。そこにはいかなる抹香臭さもない。