仕事は、「できる」ことの社会的承認である。その「できる」ことが期待されて対価が支払われる。この「できる」ことは、自分の「できる」ことが、他人にたいしても価値をもつことを意味している。自分の能力と引き換えに、生活資金を稼ぐというこの動機は、つねに、仕事をするということの根本である。家庭をもてば、この動機は身も蓋もなくもっと露骨になる。
だが、仕事を覚えていくにつれて、仕事は仕事固有の論理をもつようになる。ただ報酬のためというのではない。それ以上の魔力めいたものが仕事にはあるのである。やりがいとか、生きる意味そのものだというように。