人間がなにかをするときには、好きか、得になるか、必要か、のいずれかの動機が必要である。はっきりいって、どんな動機ももっていない人間に、二階に上がるように強いても無理である。本を読まない子どもに無理に本をあたえても読まないのとおなじだ。人間は自分の身に沁みないかぎりなにもしない。とはいえ、一階の住人は時々階段を上がり、頭だけ出して、二階を窺うことは好きなのである。わたしたちは二階の見学者であり見物者であり傍観者である。興味がなくなればサッサと降りてしまうが、そのまま上がってしまうものは「市民主義者」になったりする。
意志によって二階に上がることは可能である。