わたしは、「まじめ」で「おとなしく」て「目立たない」子(男、女)と聞くと、無条件に好感をもつ。逆に、偶然「あいつはクソまじめだからなあ」などと他人を評している男を見たりすると、無条件にその男にたいして反感をもつ。かならずそいつの顔をみて「なんだ、ただの間抜けヅラのくせしやがって」と内心張り倒す(たいてい「間抜けヅラ」なのだ)。思いだせば、わたしは会社の面接で「遊ぶということが好きではない」と言わでものことをいい、時の社長から「そりゃ困ったね」といわれたことがあった。「遊ぶ」ことじたいは嫌いではないし、かといって遊ばなくてもべつに困りはしないが、この「遊ぶ」というじつに薄っぺらな語感と、それに付随するいじましくてケチくさい根性が嫌いなのである。