「まじめ」な者は欲望のない人間、あるいはその欲望を隠している人間だとおもわれている。悪をなすことを恐れる臆病者、他人のいうことに従順で、だれにたいしても反抗も自己主張もできない弱い者とおもわれている。ひとづきあいが苦手で、それで自分だけの世界で、あたえられたことをこつこつとやっているヤツとおもわれている。これはこれでまちがっていない。だがこの「まじめ」は世間から規定された受動的な「まじめ」である。欲望を隠し悪を恐れ従順でひとりの世界に生きるというこの方向は、自分で決めたというよりもそのようにできあがった素の方向である。
ほんとうの「まじめ」とはこの「素」を鍛えて、「自分の力」だけで生きようと覚悟した者のことである。