読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1171659
0
和辻哲郎と昭和の悲劇 伝統精神の破壊に立ちはだかった知の巨人
2
0
0
0
0
0
0
生き方・教養
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第三章 国政に表面化する伝統の断絶

『和辻哲郎と昭和の悲劇 伝統精神の破壊に立ちはだかった知の巨人』
[著]小堀桂一郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間42分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


一 統帥権干犯問題の虚妄


アメリカによるワシントン条約体制と日英同盟解消の謀略



 大正期に国民心理の基層部分をおもむろに侵蝕し始めた、教養の伝統の断絶という現象は昭和初年代には遂に国政の次元においてまで発現し、文字通りに大事に至った。本章ではこの事例につき五項目に分けて検討してみたい。


 なお以下の叙述の中での統帥権の解釈についての部分は、著者の旧著である『「國家理性」考』(平成二十三年六月、錦正社刊)の第七章「統帥權と文民統制原理」中の該当部分を摘要再説した形になっているので、その点読者のご了承を乞いたい。


 ──大正十年の年末に開催され、我が国も招請を受け、そこに海軍大臣加藤(とも)(さぶ)(ろう)を全権委員として派遣したワシントン軍縮会議とはいかなるものであったか。開催国アメリカの下心を見れば、それは日露戦争での勝利を機として躍進に向う日本帝国が、アジアでの勢力拡大に向うのを未然に抑え込もうとしての謀略であることは眼識ある人々には優に看取できた。日英同盟を解消させることにより、太平洋世界での勢力均衡を日英対アメリカの形ではなく、米英対日本の形に切替える、との魂胆である。その時三大国英・米・日の保有する主力艦の比率五・五・三は、五プラス五の十(少くともその約六割)に対する孤立日本の三という比率に置換えることができる。


 こうした算用上の不安が見えていたにもかかわらず、日本がこの会議に参加して日英同盟という(うしろ)(だて)の放棄要求を呑まされ、翌大正十一年二月に発足するワシントン条約への加盟を決断したのは、英米両国相手の無制限の「建艦競争」にかかる財政負担を考えれば、やがて当時の日本の国力では堪え切れぬ重荷となるであろうとの冷静な計算があったからである。


 その点で加藤友三郎全権の対処も、大正十年十一月四日の暗殺に(たお)れる前の内閣総理大臣原(たかし)の思慮も現実を理性的に判断した結果であり賢明だった。ただ、日英同盟の廃棄という外交上の失点については、米国外交の(こう)(かつ)な罠に堕ちたという口惜しさが、達識の人々の心にはしこりとなって残った。かくて発足した大正十一年以降のいわゆるワシントン体制とは、平和主義の美名にかくれて米国が日本に向けての戦略的な(かん)(せい)をかける企みの成功の第一歩に他ならなかった。


アメリカ主導の日本抱え込み戦略の第二弾・ロンドン軍縮会議



 それから十年後の昭和五年(一九三〇A.D.)のロンドン軍縮会議にも、日本は三大海軍国の一つとして参加の招請を受けた。他にフランスとイタリアも招請されたが、この両国は陸軍の軍縮問題にのみ関わった。


 この会議は実は開催地はロンドンではあっても、米国主導の日本抑え込み戦略の第二段階だった。全権委員の海軍大臣(たから)()(たけし)にせよ、全権代表の若槻禮次郎元総理大臣(大正十五年一月──昭和二年四月在任)にせよ(他に現地で松平恒雄駐英大使が全権団に加わった)、十年前のワシントン会議で日本国が苦汁を飲まされた経験のあることはよく知っていた。だが現実の国際関係の厳しさ、実質を言えばこの関係を裏で操作しているアメリカという新興強大国の覇権的意志の(きよう)(かん)には、元来謙虚な育ちの日本帝国外交使節個人の学習経験などでは到底歯が立たない酷薄さがあった。


 ワシントン条約で押し付けられた主力艦の保有制限量を補うのに、日本の造艦技術が誇る大型巡洋艦と、殊に潜水艦の運用をもってすれば辛うじて何とかなるとの希望的観測を持っていた日本海軍の軍令部にとって、ロンドン会議での米国がつきつけた補助艦の保有に関する兵力削減要求は、日本の死命を制するものと思わざるを得ないほどの苛酷にして横暴なものだった。


 しかしながら時の濱口()(さち)内閣(昭和四年七月成立)は、施政方針たる十カ条の政綱の中で、判然と国民の税負担軽減の一端としての軍備縮小を謳っていたし、濱口自身が元来英米との協調の重要性を信条とする政治姿勢の持主だった。これに加えて外務大臣の(しで)(はら)()(じゆう)(ろう)は加藤高明内閣(大正十三年六月成立)での外相として入閣以来、対米英屈従迎合の外交姿勢をほとんど偏執的に守り続けて来た男であった。両人とも軍令部長加藤(ひろ)(はる)大将、次長末次信正中将等に代表される海軍部内の不安感に無理解というわけではなかったであろうが、とにかく内閣としては軍縮条約を締結し、国際協調路線を歩み続けるという方針をもってアングロサクソン両国の好感を得ておく方が目下の国益に(かな)うと見たのだった。


 それに加えて昭和五年という年は、ワシントン会議当時の戦後不況が慢性化していた、その事態に追い打ちをかけるごとく、前年(一九二九年)秋にニューヨークに発生した大恐慌の世界的波及が日本にも及んで来ていた。昭和恐慌と呼ばれる鉄鋼業・紡績業等での操業短縮等の措置に見られる構造的不況が表面化した年でもあった。軍備の縮小は国家の抱えている財政難自体が発している自然の要求に沿った施策でもあった。


 ロンドン軍縮条約は昭和五年四月二十二日に調印され、国民は濱口内閣のこの方針を支持していたから、一カ月後に若槻代表に先立って財部全権がシベリア経由で帰朝した時は外交上の成功者として東京駅頭で民衆の歓呼をもって迎えられた。その陰には海軍軍令部参謀の一海軍少佐が財部海相への抗議の遺書を(したた)めた上で自殺するという事件が起り、右翼から賞賛を博したりもしたが、国民の大半は民力(かん)(よう)につながると思われる軍備縮小政策を支持していた。


統帥権干犯という言いがかりはいかにして起きたか



 ところで国際条約の締結は、帝国憲法第十三条〈天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス〉との文言が示している通り、天皇の大権事項である。それは枢密院への()(じゆん)を経て天皇の御裁可を仰ぎ、それを承って初めて枢密院での批准の手続が済み、条約としての効力を発生する。批准が済むまでは条約はまだ政府を束縛する力はない。もし批准が成立しなければ、調印はしても、政府はその条約への加入を否認したことになるという例は有り得る。国際聯盟はヴェルサイユ平和会議の席上で米国大統領ウィルソンの提案した平和十四カ条にもとづいて結成されたものであるが、その聯盟規約の主文を含むパリ講和条約を米国政府が批准しなかったため、米国が聯盟に加入せず、その(らち)(がい)にとどまったのは有名な実例である。


 ロンドン条約にしても、これでは日本の国防態勢整備に不安があると考えた軍令部が、枢密院に対して批准の阻止を働きかけて成功すれば、日本帝国はこの軍縮条約に加入して海軍力のさらなる制限を受けるという事態を免れ得る。そういう政略的手段もまだあった。


 当時の立憲民政党を与党とする帝国議会の野党だった政友会は、条約に対する軍令部の不満を利用し、条約の承認、批准の実現を方針としている濱口内閣への糾弾の口実とすることを企んだ。真の国益とは何かを真剣に考えるよりも、政府の弱味を政争の具として己が党派の利権拡大を図る野党の謀略は、平成の今日のみに盛行する醜行であるとは限らない。およそデモクラシーの体制には元来ついて廻る厄介な制度的弱点である。


 昭和五年四月二十五日、ロンドンで軍縮条約が調印された三日後の事だが、第五十八特別議会が開会されて四日目の衆議院本会議で、政友会総裁犬養(つよし)が代表質問に立って濱口首相に問い(ただ)した。すなわち、軍事専門家たる海軍軍令部長が、このたび調印された軍縮条約では日本の国防に不安があると公けに声明しているのに、総理大臣はこれで危険はないと言明している、いったいどちらを信用すればよいのか、国民が安心できるような説明を聞きたい、との理詰めの糾問であった。


 犬養総裁に続いて質問に立ったのが政友会総務の鳩山一郎だった。この鳩山の質問の中に()(らい)妙に有名になってしまった標句だが、国務大臣の失政としての統帥権干犯、との命題が出てくる。濱口内閣がこの言いがかりを適切に処理できなかった失態が昭和史に長く祟る大きな禍の(もと)となった。その場合、野党と政府と、どちらの見解に理があったか、という勝敗の判定はしばらく()いて、この妄言を的確に処理できなかった議会と政府との双方にその禍の責任はある。


 若槻全権代表はロンドンに赴く途上、ワシントンでのスティムソン合衆国政府国務長官という反日政策の元凶との予備会談、ロンドンに着いてからのスティムソン及びリード共和党上院議員というアメリカ全権団を相手としての予備交渉を通じて、米国の対日敵意の容易ならぬ険悪さを知った。主催国の名義を有している英国政府は、アメリカの日本抑え込みの策謀に協力させられている脇役にすぎないことも見えてきた。若槻の回想『古風庵回顧録』(昭和二十五年、読売新聞社刊)によれば交渉は常に日本と米国との正面衝突で、イギリスはまるで傍観者の立場だったという。


 このからくりが見えて来た時、遠く離れた東京に安居しながら、日本は英米に対し積極的な国際協調の姿勢を示すことによって国際平和の促進に向けての誠実な努力をアングロサクソン両国に認めてもらい、国際社会での地位をさらに高めることができる──といった幣原外相、濱口首相、そしてその背後にいる元老西園寺公望等の希望的観測がどんなに甘い幻想であるかを全権委員たちは痛感するに至った。


 加藤寛治、末次信正等の海軍軍令部の上層部は国際交渉の現場にいたわけではないから、若槻全権のごとくに、米国と、米国が今や主導権を握っている欧米白人諸国の日本に対する敵意の底深さ苛酷さを身をもって感じていたわけではない。ただ、彼らはやはり軍備の現場を知っている軍人特有の計数感覚をもって、米国が押し付けてくる戦力保有量の比率の数字に、相手の険悪な底意を嗅ぎ取ったであろう。危機感は切迫したものになっていた。


政争を企んだ鳩山一郎のお粗末な謀略工作



 加藤軍令部長はここで一つの非常手段に出ることを思いついた。統帥の最高責任者である軍令部長には緊急時に直接天皇に見解を申し上げることのできる()(あく)上奏権という特権がある。作戦上真に切羽詰ったような事態ではたしかにこの特権の行使は認められる。しかし今は戦時ならぬ平時である。平時において軍令部長がこの権限を行使し、内閣総理大臣が国務として奏上する予定の軍縮条約の締結に対する御裁可の奏請を、軍令部が横から推参してその否認を願い出るのは異常である。


 国務の最高責任者である内閣総理大臣と統帥の面での同じ地位に立つ軍令部長とが互いに相反する意見を奏上して御裁可を奏請した場合、天皇はいったいどちらを是とする判定をなさったらよいのか。これは憲政の根幹を揺るがす重大問題である。


 山梨勝之進海軍次官の注進によって加藤軍令部長の上奏の覚悟を洩れ聞いた鈴木貫太郎侍従長は、天皇に大へんな御迷惑がかかる、というよりも帝国憲法における天皇大権への臣下の()(ひつ)の義務の上で前例の無い不祥事が生ずるかもしれぬ危険を憂慮した。ただ、侍従長には軍令部に対して公務上の意見を述べる権限はない。それゆえに、海軍における先輩と後輩との交友関係の中での私見なのだ、と念を押した上で、加藤軍令部長の反対上奏の企図を思い停めさせた。


 かように十分の用心を重ねた上での侍従長の忠告であったが、これがしかし侍従長による軍令部長の上奏阻止という歪められた形で噂が流れ、六年後の二・二六事件で鈴木侍従長が暗殺の標的となる一因をなした、との観察もある。かつこの時素直に侍従長の忠告に従った軍令部長はこの不祥な噂を打ち消す義理を有するはずであるが、それを果さなかった。


 加藤軍令部長の当初からの苦衷を察していた政友会の一部の代議士が、(ほう)()とも称すべき理に外れた理屈を()ね上げて、政府の国際協調外交への攻撃に走ったのも、これもやはり憂国の衷情に出たものと見て同感を寄せることができないでもない。しかしそこで彼らの用いた政府攻撃の論鋒が、およそ憲政の常道を理解していない、法理的に誤った論理から成っているのを見れば、結局は政府の外交上の欧米屈従に事寄せて政府攻撃のための政争を企んだお粗末な謀略工作だったと見られても仕方がない。


「統帥権干犯」という政争狙いの悪問への答とは



 軍令部の深刻な憂慮の表明にもかかわらず、濱口内閣の派遣した全権使節団はロンドン軍縮条約に調印して復命した。そのことが帝国憲法第十二条に規定された天皇の編制大権の干犯に当る、との鳩山一郎代議士の糾問に対し、政府が適切に答弁できなかったことが、このつまらぬ質問を遂にこの虚名で記憶される「事件」にしてしまった。


 それではその時内閣側はどう答えればよかったのか。どのような答弁ならばこの政争狙いの悪問を法理の上で説伏することができたであろうか。


 鳩山が糾問の根拠としたこの文脈での統帥権とは、憲法第十二条〈天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム〉とあるのを指すもので、編制大権と呼ばれている。ちなみに最大の問題となる第十一条は〈天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス〉という簡潔を極めた条文であり、このあまりの簡潔さがやがて昭和維新の夢想に取憑かれた政治将校たちの曲解を誘発することになる。少くとも統帥にせよ編制と常備兵額にせよ、両条文の主語は天皇なのだから、その最終決定は天皇の親裁によるもののごとくに読める。


 しかしながら帝国憲法の定めている憲政の根本原理に則してみれば、天皇の統治権は、国家元首たる天皇の「(そう)(らん)」に属するまでであり、天皇は〈此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ〉(第四条)とされ、その執行の責任を負うのは第五十五条〈国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス〉の規定により国務大臣であり、天皇の直々の親裁ではない。


 ゆえに第十二条が規定している編制大権といえども、国務大臣の輔弼による兵力量の決定を天皇が親しく裁可されることによって確定する、という構造である。ロンドン条約に即して言えば、兵力量=補助艦艇の対米英保有比率は担当国務大臣たる海軍大臣の責任において最終的に確定してよい、天皇がそれを御裁可になれば(拒否なさることはあり得ない)、それで国策として確定する。


 それならばなぜ、海軍大臣によるこの輔弼の責任の結果に対して「統帥権干犯」という異議申し立てが法的に可能だというような見方が一時的にせよ議会を支配したのか。


 故(ふな)()繁氏(陸士四十七期、陸大五十九期)に、『日本の悲運四十年─統帥権における軍部の苦悩』(平成九年、文京出版刊)という名著がある。標題にいう悲運の四十年とは日露戦争の終結から大東亜戦争の敗戦決定までの年数だが、その期間に限らず、明治新政府による政府直轄軍隊の誕生から説き起して、およそ国軍における統帥のあり様の歴史を詳細克明に説いている労作である。舩木氏の所論から、今紙幅の制約上昭和五年のロンドン条約調印当時の争論部分についてのみ参考とさせて頂く。


 ワシントン軍縮条約は、原敬首相と加藤友三郎海相の賢明な思慮にもとづき、米国の腹黒い策謀を見抜いた上でなおかつ、現実の必要に則って調印し実行に移した、苦悩の選択だった。これは海軍の兵力量の決定が海軍省の主務として行われたよき前例をなすものだったが、この決定に不満だった軍令部にしてみれば、ここで確定した範例に背反しても、兵力量決定の主導権を軍令部に奪回すべきであるとの焦慮に駆られる所以(ゆえん)であった。


 そこで軍令部はその時、部局の公式見解として、憲法第十二条は責任大臣の輔弼によると同時に、軍令部長の輔翼の範囲に属する事項を含んでいるゆえ、その執行には軍令部の意向が反映されるべきである、国防・用兵上の見地からすればむしろ主として軍令部の輔翼の範囲に入るのであり、予算折衝の段階に進んで初めて責任大臣の管轄に入って来るのだ、との解釈を公表した。


 これは従来の海軍省の見解とは相容れないものであり、すなわちここで海軍省と軍令部との対立という、官僚の縄張り争いに等しい事態に堕落してしまう。


統帥部にくすぶり続けた国防上の不安



 このような憲法条文の解釈上の対立に際しては内閣法制局が双方の言分についての正否の判定を下してよい立場にあるのだが、当時の法制局はその役割を果せなかった。その主たる原因は、このような場合に有力な論拠を提供してくれるはずの『憲法()()』に次に記すごとき曖昧性が存するからである。すなわち『義解』の第十二条は、

(つつしみ)テ按スルニ本條ハ陸海軍ノ編制及常備兵額モ亦天皇ノ親裁スル所ナルコトヲ示ス。此レ(もと)ヨリ責任大臣ノ輔翼ニ依ルト雖、亦帷幄ノ軍令ト均ク至尊ノ大權ニ屬スヘクシテ而シテ議會ノ干渉ヲ()タサルヘキナリ(後略)〉


 という文言である。先に引いた軍令部見解では、大臣の責任について「輔弼」、参謀本部と軍令部の責任について「輔翼」の字を用い、両者に性格の異同があるかのような用法を見せているが、『義解』が〈大臣ノ輔翼〉と書いている所からも分る通り、用字が違うだけで内容は同じ意味である。つまり「国務大臣の輔弼」「両統帥部長の輔翼」は、双方共に天皇に責任を負わせることなく、国政の責任は臣下たる国務大臣、参謀総長及び軍令部長が負う、と言っているだけのことである。


 それはよいとして、『義解』が、兵力量に関わる天皇の親裁というのも固より大臣の輔翼によって下されるものなのだが、同時に第十一条の統帥大権と同じく、天皇大権に属することであって議会の干渉を受けない、と記した所が問題であった。内閣法制局の示した見解は、統帥大権に関わる事項には国務大臣の輔弼の範囲からはみ出す部分があるから、その部分については統帥部の輔翼が(よう)(かい)してくることも有り得る、と『義解』の曖昧性をそのまま反復したような歯切れの悪い説明で()げてしまっている。


 この「国務大臣の輔弼からはみ出す部分」について、以後国務と統帥とが互いに各自の権限の拡大を争い合う、という状況が生ずるのだが、それを内閣法制局の見解で調整し合意を形成することができなかった。平時のことであるとはいえ、国防上のかかる重大な問題の処理に際しても、常に己の権限の拡大を最優先事項として事に当る官僚の習性が、この時も以後長く続く禍の因となった。


 昭和五年四月に生じた統帥権干犯問題は、六月十日に至って加藤寛治軍令部長が、ロンドン条約にまつわる国防の不安についての天皇への上奏文奉読という形での抵抗をあえてしながらも、結局財部海相から即日更迭されるという形で加藤の敗北に終った。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:43071文字/本文:50778文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次