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生き方・教養
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第二章 希望を持つな

『がんばらない、がんばらない』
[著]ひろさちや [発行]PHP研究所


読了目安時間:33分
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未来を悩まず、今日を楽しく熱心に生きればいいのです


「希望を持つな!」と言えば、たいていの人が驚きます。世間では、常に希望を持てと教えていますね。わたしが言うのはそれと正反対ですから、〈おかしい……〉と思われるのは無理もありません。

 そこで最初に、(しやか)のことばを紹介します。お釈さまの権威でもって、わたしの主張の裏付けにします。
《過去を追うな。

 未来を願うな。

 過去はすでに捨てられた。

 未来はまだやって来ない。

 だから現在のことがらを、

 現在においてよく観察し、

 (ゆら)ぐことなく動ずることなく、

 よく見きわめて実践すべし。

 ただ今日なすべきことを熱心になせ。

 誰か明日の死のあることを知らん》

 これはパーリ語聖典の『マッジマ・ニカーヤ』の中の「一夜賢者経」と題される経典に出てくることばです。

 わたしたちは、過去の失敗をくよくよと悩んでいます。でも、いくら悩んでも、過去を変えることはできません。悩むだけ無駄なんです。

 いや、失敗を反省することによって、二度と再び同じ失敗をしなくなる。だから、反省することは大事なんだ。そう主張される人がおいでになります。それは、学校の算数や数学の試験問題であれば、反省することによって同じ誤りを繰り返さないかもしれませんが(でも、同じ失敗をすることも多いですね)、人生には同じ問題なんてありませんよ。だから、いくら反省したって同じ過ちを繰り返します。それが証拠に、酔っ払いを見てください。わたしなんか二日酔いをするほど飲まずにおこうと決心しながら、相変わらず二日酔いをしてうんうん(うな)っています。ともかく、過ぎ去った過去は反省しないでいいのです。お釈さまはそう言っておられます。

 いや、それよりも、過去の成功のほうが困りものです。わたしたちは物事に成功すると、その成功体験が(あだ)となって、それにのめり込んでしまうことが多い。そのいい例がパチンコです。あるいは競馬・競輪などのギャンブルです。なまじ大穴を当てたりすると、その快感が忘れられず、執着してしまうのです。そのように成功体験に執着することも、釈の「過去を追うな!」のうちに含まれています。

 そして、「未来を願うな!」が、わたしの言う「希望を持つな!」です。

 普通は「希望」というものは、美しいものに思われています。しかし、よく考えてみたら、そのほとんどが夢みたいなものです。世間では美しい夢を持てと言いますが、総理大臣になりたい、社長になりたい、大金持ちになりたいというのが、ほんとうに美しい夢でしょうか? 高校の野球部員が甲子園で優勝したいと夢を見るのを、世間の人はほめそやしますが、そんな夢を持てば毎日毎日練習ばかりしなければならず、野球を楽しめません。サラリーマンが社長になりたいと思えば、上司にごまをすらねばならず、人間が卑屈になりませんか? 家庭を犠牲にしてあくせく働かねばならない。そんな生き方をするよりも、毎日の生活を楽しく生きなさい。釈はそう教えているのです。それが、「未来を願うな!」であり、「ただ今日なすべきことを熱心にせよ!」なんです。

 ともあれ、希望というものは欲望なんです、その本質は。物質的な欲望もさることながら、権力欲や名誉欲。それが希望ですよね。そんな希望は持たないほうがいいのです。

 それと同時に、われわれは未来を思い悩みます。大学受験に失敗したらどうしよう、会社をリストラされたらどうしよう、とあれこれ悩みます。まことに悩みの種は尽きません。

 もちろん、希望と悩みはちがっています。わたしが二つを並べると、おまえは味噌(みそ)(くそ)も一緒にするのか!? と(しか)られそうです。

 しかし、とことん突き詰めて考えるなら、わたしたちはいやなことから逃れたい、苦労なんかしたくないと思って悩むのです。その意味では、逆方向の希望で悩んでいることになります。

 だとすると、釈が「未来を願うな!」と言ったのは、未来に対して希望を持たないと同時に、先のことをあれこれ悩むなと教えているわけです。わたしはそのように解釈します。

 そして、これは釈だけではありません。キリスト教のイエスが、
《明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である》(『マタイによる福音書』6)

 と言っています。釈と同趣旨の発言ですね。



 考えてみれば、われわれは過去と未来に対していっさいの権限はありません。

 たとえあなたが大金持ちであっても、千金・万金を出して昨日の二十四時間を再使用させてほしいと言っても、それは無理です。同様に大金を積んで、明日の二十四時間を今日使わせてほしいと頼んでも、聞き入れられるわけがないのです。その意味では、時間は金持ちにも貧乏人にも平等に与えられています。

 わたしたちは、今日をしっかりと生きるよりほかありません。

 未来のことはわたしたちの権限にないのだから、ほとけにまかせておくよりほかありません。釈が言う、「誰か明日の死のあることを知らん」です。明日、わたしがぽっくり死んでしまうかもしれない。それなのにわたしたちは、来週のこと、来月のこと、来年のことを計画しています。

 と、このように書けば、「そうだ、あしたはあしたの風が吹く。くよくよしたってしかたがない」と、あなたは思われるかもしれません。そういえば、「ケ・セラ・セラ」といったスペイン語がありましたね。「なるようになる」といった意味です。一九五六年のアメリカ映画『知りすぎていた男』の主題歌の題名でもあります。明日はなるようにしかならないのだから、くよくよするのはよそう。あなたがそう思えば、まあ半分は釈のことばを理解しているのです。

 でも、半分だけです。

 あとの半分は、釈が言う、
「ただ今日なすべきことを熱心になせ」

 にあります。それを忘れてもらっては困ります。

 では、今日なすべきこととは何でしょうか……?

 それは、明日のための準備ではありません。

 金儲けというのは、明日のための準備ですよね。
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