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あなたは何を信じて生きるのか 確信の喪失
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政治・社会
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第四章 宿命を知る

『あなたは何を信じて生きるのか 確信の喪失』
[著]西尾幹二 [解説]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


読了目安時間:36分
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 人間は宿命の中に生きている


 宿命ということについて、誰もが知っている話題を中心にしながら考えてみようかと思います。というのは、現代でいちばん忘れられていることが宿命だからです。宿命の反対概念は自由ということです。現代の人間は誰でも自由になれると思っているし、自由だと思っております。そのために宿命を忘れてしまう。あるいは必然性ということを忘れてしまう。


 物事がここに今日こうなっているのは、かくかくの背景があり、かくかくの歴史的必然性があるからである、したがって今までこうしか動きようがなかったからこそこうなっているのだということが分らなくて、目の前にある状況を簡単に変えられると思ったり、思い通りにいかないと今度はそこに不平を抱いたり、ほかの国がうまいことをやっているかのごとくに羨み、ほかの国がこうしているのだからわれわれも一挙にこうしなくてはならないとか、それが出来るとか、こうしたら必ずうまくいくであろうとか、そうするのが世の中あるいは国際社会のつとめであるなどと思ってしまう。そういう意味では、日本という国が自由気ままに動ける国だと簡単に思っている。


 それに対して、そうではない、必然というものがあるのだということを所々においてわきまえておくことが、物事を判断するうえでたいへん大切である。こういう見地から、本講演では近年の国際状況を踏まえてわれわれの生き方を考えてみようというわけであります。


 じつは、すべての人間は宿命の中に生きているのです。例外はありません。日本という国のことだけではなく、一人ひとりの生活を考えた場合でも、われわれは逃れることが出来ないものを抱えて生きています。


 例えば背中の骨が曲がっている人がいたとします。その人が神さまの気紛れの思いつきか、なにかの救いによって、病気を治す霊験あらたかなる力を与えられたとします。目が覚めたら突然背筋がピンと伸びてしまったといたします。しかしじつは背筋がピンと伸びてしまった瞬間から、彼はもはや彼ではないんですね。


 なぜならば、彼がそのような不幸を背負っていることと彼自身の人格とは今まで一つだったからです。彼自身の人格はそのような不幸を背負うことによって、今日まで成り立って来たのだからです。


 そのために悔しい思いをしたこともあるでしょう。嘆いたこともあるでしょう。戦ったこともあるでしょう。あきらめたこともあるでしょう。そうして、その人の人格はつくられて来たのであります。ですから、今にわかに人格の主要部分を形成していた悪が消えてしまったとたんに、その人はもう別の人格なのです。


 自分が自分でなくなるというような、そのような自由を夢見ることは、個人においても国家においても、それはしょせん夢物語であります。逆にいうと、自分が自分であるかぎりは、永久に自分が持っている条件は背負い続けていかなくてはならない。それを簡単にいえば、宿命と言っていいと思います。



 歴史の必然性を忘れた日本人


 具体的なほかの話に転じてみましょう。最近、日本人はまだ本当の豊かさを知らないというようなことを、新聞、テレビなどで言う人が多い。日本は休暇も少ない。相変わらず住宅がよくない。個人一人当りのGNPは世界のトップに立ったと伝え聞くけれども、われわれの生活はそんな豊かになったという実感に乏しい。


 少なくともこの五、六年は、こういう声を強く耳にしていると思います。各政党も、経済大国から生活大国へなどというスローガンを掲げ、さらに経済企画庁あたりの統計表には、日本人の生活は数字上にあらわれるほど豊かではないというようなことを逐一反省する言葉が出るのであります。


 そういうとき、人はたいてい、日本以外のどこかの工業先進国を念頭において比較しております。どういうわけか、ヨーロッパと比較する場合が多いようですね。とくに、日本よりも賃金が安いけれども、落ち着いて静かないい暮らしをしている国、例えばイギリスとかイタリアを例に出します。


 イギリスは名目賃金が明らかに日本よりも非常に低い。イタリアも同様です。しかしイギリス人の生活は、日本人が享受していないような広々とした公園や休暇に遊ぶ施設に恵まれている。あるいは、高速道路がほとんど無料である。美術館も博物館もほとんど無料である。


 それから、意外に食料などに恵まれています。農産物に対しては、ヨーロッパ各国はみんな注意深い防衛策をとっておりまして、穀物の自給率を三〇パーセントに下げてしまった日本のような愚かなことをやっている国はどこにもありません。ドイツですら一〇〇パーセントを超えているはずです。


 そういう例をあげて、ドイツも羨ましい国の一つとされています。労働時間の少ないことはドイツの場合は著しい傾向で、日本よりも週に七、八時間少ないのではないでしょうか。住宅がよい。これは事実です。ドイツ人は不思議なくらいに家にこだわります。日本人は子どもを大事にしますが、ドイツ人はなににいちばん金をかけるかというと家です。一に家、二に家、三に家、四に家、五番目に自動車、六番目に外国旅行、そして七番目が子どもというくらいの支出順位です。ですから、家は立派です。したがって真に豊かな国の代表例のようにいわれます。


 さらにドイツはマルク高です。為替の差益がすぐに消費物価にはね返るようなシステムがよく出来上がっているので、マルク高になればなるほど生活物資が安くなる。一方、円高差益がうまく進まない日本の流通機構は、日米構造協議の対象となって、なにかと激しく槍玉にあげられているわけです。その場合にも、かなりの程度に合理的なドイツの流通機構が意識されているだろうと思います。


 日本人は名目賃金ほど豊かではない、日本よりもっと豊かに暮らしている国があるということが、新しい課題のように今盛んに指摘され、キャンペーンされているわけです。私は尤もだと思う気持ちのある反面、こういう話を聞きますと、またまた外国と比較して、あれこれ不足を言う日本人の相も変わらぬめめしい習性にぶつかっているような思いもいたします。


 昔もなにかというと外国と比較して、日本はだめだという議論が多かったのですが、繁栄社会になったらなったで、また形を変えて、同じようなことをぶつくさいう心理はいったい何だろうか。相変わらず困った性癖だと思うのであります。なぜ、日本人は自分は自分、他人は他人と割り切って、落ち着いていられないのか。その点に、疑問を覚えるからであります。


 はっきり言って、数字上のことは比較できますけれども、原理的に比較出来ないものを比較して、愚かな劣等感にとらわれているとしか思えません。

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