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あなたは何を信じて生きるのか 確信の喪失
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政治・社会
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第五章 ヒューマニズムについて

『あなたは何を信じて生きるのか 確信の喪失』
[著]西尾幹二 [解説]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


読了目安時間:33分
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 外国人労働者受け入れは義務ならず


 外国人労働者の問題については、わが国にはいくつもの誤解があります。まず第一に、世界の先進国はどこもみな受け入れ制度を確立していて、日本だけが頑固に、単純労働者の受け入れを拒否している。日本は国際化が遅れていて恥ずかしい、といったたぐいの考えが広がっている点であります。しかしこれは完全な誤解です。


 例えばヨーロッパ諸国が外国人労働者に門戸を開いたのは、一九六〇年代の前半でした。そして石油ショック(一九七三年)を境に、どの国もみないっせいに鎖国政策に転じました。過去において導入政策をとったために外国人の定住化が進んで、今悩んでいる国は少なくありません。


 しかし今正式にやっている国は、世界広しといえども、スイスとシンガポールを除いて──この二国についてはあとで触れますが──どこもないのです。アメリカやカナダや豪州のような移民国家ですら、労働者の新規の受け入れは、もうほとんど行なっておりません。あるいは、たまに若干受け入れるにしても、移民国家としての「建国の精神」を捨てて、著しい制限枠を設けるようになって来ました。


 さらに第二に、諸外国が過去のある時期に外国人労働者の導入を決めたときの動機にも、日本人には誤解があります。「国際貢献」とか、「他国救済」といった動機で、外国人の失業者を受け入れるべきだなどと言う人がいますが、まったくのナンセンスです。歴史上そんなことをした国はありません。


 どの国も自国が完全雇用で、極端な人手不足になったために、いちばん安易な政策として、外国人の労働力に依存しただけの話です。政策は自国のためであって、相手国のことを考えたわけではありません。


 かつてNHK討論会(一九九一年五月二七日)で、大前研一氏が、

「貧しい時代の日本は移民送り出し国であったのだから今は移民を受け入れるのが富める国になった日本の当然の義務だ」


 と語りました。


 こういういかにも反駁しにくい、口当りのいい言葉で、道義をふりかざした大向こう受けする台詞を語りたがる人が、テレビや新聞には余りにも多い。


 私はその日、間髪を入れず氏に反論しておきました。

「たしかに戦前アメリカ、ブラジル、ペルーなどに日本は移民を送り出した。しかしそれは、それらの国々が移民労働力を必要としていたからに過ぎない。もし富める国がすべて移民受け入れの義務を有するというのなら、当時最も富める国であったイギリスやフランスがなぜ代表的な移民国家にならなかったのだろうか。アメリカやブラジルやペルーにはその必要があった。それだけの話ではありませんか」と。


 人手不足だけがこの問題の動機の決め手をなしていることは、最近日本でも次第にはっきりして来ました。つまり自国の経済エゴイズムが動機のすべてなのです。それをごまかして、「富める国の義務」だなどと道徳論にすり替えて、自国民を脅かすようなもっともらしいお説教を垂れる知識人は、まことにたちが悪いと申すほかありません。



 多発する迫害とリンチ


 そういうわけで、この問題に対するわが国の誤解の第三は、外国人労働者の導入は貧しい民を助けるヒューマニズムだと思っている人びとがいまだに少なくないことです。新聞やテレビなどはそのような調子で、哀れでかわいそうな弱者を助けよというセンチメンタリズムをまき散らしていますから、よほど気をつけてかからなければいけません。


 世界のどの国においても、移民労働者の問題は、きわめてアンヒューマンな、残酷な結果に終っています。人権大国を自称する、外国人慣れした、最も国際化された国フランスにおいてさえも、結果は例外ではありませんでした。


 一九七三年、南フランスのマルセイユで、バスのフランス人運転手が一人のアルジェリア人にナイフで刺されて殺されるという事件が起こりました。殺した犯人は精神障害者だったのですが、ただちにフランスのバス労働組合が立ち上がって、「ねずみ狩り」と称してアルジェリア人に対する無差別な迫害と殺害が始まったのです。


 その間に、当時のマルセイユの新聞なども移民排斥の論調を張って「もうたくさんだ、アフリカ人よ帰れ」という叫び声をあげたり、保守党の大物がそれに同調するということがあったりして、ますます火に油を注ぐかたちとなり、街角で誰かれとなく罪のないアルジェリア人が狙撃されるというようなことが起こりました。


 このような事件は、以前アメリカの南部の農園で、白人の女性に黒人が性的な犯罪を犯したときに起こった集団リンチに大変よく似ています。大体一九三〇年代ぐらいまでのアメリカ南部では、黒人に対するリンチが犯罪にすらならないほど広がっており、とりわけ白人の女性に対する黒人による性犯罪が起こると、もう黒人という黒人は誰かれ見境なく殴り殺されるというようなことが起こったことがコールドウェルの小説などにも描かれています。


 このようなことは人種間闘争の一番すさまじい部分なわけですが、現代の文明国フランスでも起こっているということが驚きであります。フランスではその後も、パリでモロッコ人の住んでいる宿舎に火がつけられて、何人かがいっぺんに焼き殺されるという事件があったり、夜中にアルジェリア人が狙撃されて、朝、運河に死体が浮かんでいるとか、とにかくすごいことが相次いで起こっています。



 加害者になることが恐ろしい


 しかし私が労働者受け入れ政策はヒユーマニズムに反するというのは、こういう非情無比な事件が多発する可能性だけを指しているのではありません。入って来た労働者は必ずいちばん人が嫌がる仕事につきますから、言ってみれば二重労働市場下の「近代奴隷」のような形になります。それが最大の問題なのです。つまり新しく差別される者、被害者の立場に立つことになります。


 ということは、先進国の人間は必ず加害者になるのだということを意味します。それをどうか忘れないでいただきたい。私たち日本人は今、外国人が多数入ってくると、女性が公園を一人で歩けなくなるとか、夜遅くは危なくなるとか、そんなことばかり言っています。

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