読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/9/29 UP)

犬耳書店は、姉妹店のRenta!(レンタ)へ統合いたします。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-2
kiji
0
0
1174386
0
獣神サンダー・ライガー自伝(上)
2
0
0
0
0
0
0
趣味
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
Chapter.3 海外武者修行

『獣神サンダー・ライガー自伝(上)』
[著]獣神サンダー・ライガー [発行]イースト・プレス


読了目安時間:16分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ



「ハチベエ、調子に乗んなよ」


──84年は第一次UWFの設立や維新軍の離脱に伴い、選手数が一気に減った時期でした。9月には残った選手が箱根で強化合宿を行ないましたが、あの当時の気分は?


 さすがに「これからどうなっていくんだろう?」という思いはあったかもしれないですけど、やっぱり上の選手が抜ければそれだけ下の人間にチャンスが巡ってくるし、実際にいろんな場面で抜擢を受けるようになりましたからね。だから、個人的には悲壮感みたいなのもなかったし、相変わらず練習やって後輩にイタズラしてみたいな感じだったと思いますよ。



──翌85年には第1回ヤングライオン杯が開催されて小杉選手が優勝、山田恵一選手は準優勝となりました。


 このときは会社としても若手の底上げや、話題も作らないといけないってことで、この大会が企画されたんでしょうね。本当は決勝に後藤さんが出るはずだったのが、肩をケガして欠場になって、棚ボタで僕が進出して。当時は上が抜けたぶん、若手たちの意識も変わって出世争いが一層加熱したなとは思いました。でも、UWFに関しては、わりとすぐに戻ってきましたよね?

──はい、第一次UWFは85年9月に活動停止となり、12月に新日本と業務提携しました。当時、互いのイデオロギーのぶつかり合いでリング上が殺伐とする場面もありましたが、山田恵一選手はUWF道場を訪ねたり、また藤原教室に参加したりと、あまり垣根を作ってなかったように見えました。


 そういう僕の姿勢をおもしろく思ってない先輩もいたかもしれないですけど、「関係ねえや」って感じでしたよ。藤原さんが「オマエとは練習しない」ってなったらアレですけど、「よし、やるか」ってなればコッチはふたつ返事ですから。藤原さんは後輩に教えてやってるっていう感じじゃないんですよ。単純にイチ練習相手として見てくださったので、コッチも気持ちよく飛び込めるというか。UWFと提携していた頃は、(あん)(じょう)(よう)()選手や(みや)()(ゆう)(こう)選手とかアッチの若手選手も上がってましたけど、べつにジメジメした関係でもなかったし、結局ケンカするのはボス猿とかナンバー2で、子猿たちはわりとうまくやるもんなんですよ。もちろん、「UWFの若手のほうがすごい」とか言われるのはイヤでしたけど。

──UWFのファイトスタイルについて、新日本の選手からは「あれは道場でいつもやっていること」という反応が多かったですよね。


 僕もそうでしたよ。目新しさがあるからお客さんも沸いていたというか、「本当に楽しい、これ?」って聞きたかったですよ。客席がお通夜みたいにシーンとしていると、(かた)()を飲んでたって言えば聞こえはいいんでしょうけど、どうしても違和感があって。まあ、僕の場合は藤波さんやマスカラスの姿を観て、「スゲー! カッコイイ!」と思ってレスラーに憧れた人間なので、スタートから理想のプロレス像が違うんでしょうね。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:6703文字/本文:7939文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次