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返還交渉 沖縄・北方領土の「光と影」
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政治・社会
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序 章 沖縄返還交渉と北方領土交渉

『返還交渉 沖縄・北方領土の「光と影」』
[著]東郷和彦 [発行]PHP研究所


読了目安時間:16分
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 東郷文彦(父)と戦後の日米関係



 私が本書で第一に書きたかったのは父東郷文彦についてだった。


 私は、一九六八年から二〇〇二年まで三十四年間外務省に奉職したが、この間、祖父(とう)(ごう)(しげ)(のり)についても、父東郷文彦についても、自分から口を開くことには抵抗感があった。「外交官の三代目」と言われることはあまり嬉しいことではなかったし、巨大な存在であった祖父にしても、私の知る多くの先輩方の強い尊敬を集めていた父にしても、比較されて話をされるのは、気恥ずかしく、気の重いものがあった。


 けれども、二〇〇二年に外務省を退官し、研究の末端に位置する仕事を始め、日本の現在と未来を、特に近代史の流れの中で理解しようとし始めてみると、事情は一変した。第一次世界大戦から第二次大戦の終戦まで日本外交の先端を走り、開戦と終戦の外務大臣を務め、東京裁判で禁固二十年の刑を受け、一九五〇年に獄中死した祖父の人生は、日本近代の栄光と挫折とそれを貫く精神を一身に生きたようなところがあった。遠い幼年時の記憶の中に霞む祖父への想いは脇において、これほど興味深い「研究対象」もなかった。


 そういうわけで、退官後に少しずつ書き始めた文書の中で、歴史について初めて出版した『歴史と外交』(講談社現代新書、二〇〇八年)では、東京裁判と原爆投下についてそれぞれ一章を書くことを得た。米国や日本で開かれる、東京裁判をめぐる国際会議にもときおり出席するようになった。世界の東京裁判研究が上海交通大学に設立された「東京裁判センター」の猛烈な活動に席巻されているという「危機的」状況にある中、二〇一六年十一月の同センター主催の第二回国際シンポジウムに、日本の多数の研究者の方々と共に出席して、東郷茂徳の視点とそれを乗り越える戦後日本の方向性について論じることを得た。


 父東郷文彦については、いささか出遅れた感がある。



 東郷文彦は、一九一五年(大正四年)東京都で銀行家本城郡治郎と伊登子の第五男として生まれた。男子のみの六人兄弟であり、そのうち五名が一高東大という勉学の気風あふれる家庭で育ったようである(1)。一九三八年(昭和十三年)外交官試験に合格、翌一九三九年在外研究員としてアメリカに留学、ハーバード大学に学ぶこととなった。やがて一九四一年日米開戦、文彦は他の大使館員とともにヴァージニア州ホットスプリングスなどに収容され、その後交換船で帰国、戦時下で一挙に仕事の減った外務省で日米交渉の記録作成などの仕事を始めた。


 その中で一九四三年十一月、東条英機内閣の外務大臣東郷茂徳の一人娘いせの婿養子として結婚、一九四五年四月鈴木貫太郎内閣の外務大臣になった東郷茂徳の「(かばん)持ち」としての秘書官になり、そのまま終戦を迎えたのである。


 文彦の戦後は、極東裁判の被告となった祖父の弁護団の一員として始まった。裁判の終結後は、茂徳が獄中で(したた)めた『時代の一面』の英語訳の仕事に、茂徳の弁護人ベン・ブルース・ブレークニーとともに携わった。

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